掘り出しもの

「春はあけぼの」は清少納言の「枕草子」ですが、ほとんど朝日を拝めない雨の日が続きます。

まだ風邪が治りきっていなかったので、週末はおとなしく部屋で整理整頓(結局我慢しきれず夕に外出してしまいましたが)。段ボールをあけると思わぬ掘り出しものがでてきます。歴史書、小説、児童文学、料理の本、空手の型の教本などなど・・医学書ももちろん混じってはいますが。なかには医者になる前からある古株も。学生時代、定期テスト前夜に少し読むだけのはずだったのに、全部読み切ってしまい鳥がチュンチュンなく声で、夜が明けてしまったことに気づいて真っ青になったことなど失敗も思い出します(司馬遼太郎の「燃えよ剣」でした)。

うれしくなって、色々ひっぱりだして眺めていると整理整頓するはずが、すぐに床一面本だらけで踏みどころがなくなってしまいました。

そんな中に兼好法師の「徒然草」があるのを見つけました。「徒然草」と言えば「枕草子」とならぶ日本三大随筆の一つ。もう一つは鴨長明の「方丈記」。冒頭文が美しい。でも方丈記は通しでは読んだことがないな。教科書、受験勉強で読んだくらい。

徒然草は世俗への辛辣な批判や、住居論、笑い話、死生観のような話まであり多様。方丈記同様、無常観がベースになっていますが、こちらは悲壮感は感じられず、むしろそれを楽しんでいる様子もうかがわれます。その人生を楽しんでいるところ、筆者の独断と偏見を小気味よく押し通していくあたりが個人的には結構好きな古典です。私もつれづれなるままに、思うことを書き連ねているわけですが、名文と呼ばれる文章はやはりリズムが良いですね・・ 久しぶりに読み返して、そう感じました。

こうして楽しく週末が過ぎていきましたが、部屋はちらかり放題。

まぁ整頓は引っ越しまであきらめましょうか。

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戦国時代の健康マニア

インターネットが普及し、様々な健康情報が溢れています。科学的な情報もあれば、怪しげなものも随分混じっています。

昨日の豊臣秀頼がメタボの代表とすると、その相手の徳川家康は「健康マニア」と言っていいほど養生に励んだ人物として有名です。秀頼と対決する頃には太ってきてはいますが。

運動を健康法としても認識した先駆者の1人でもあります。徳川実記(江戸幕府の公式文書)には、刀の修練、乗馬、水泳に励む様子や、晩年頻繁に行った鷹狩などは朝早起きして運動するので、朝食もおいしく、夜もぐっすり眠れるので良薬にまさる養生と述べた様子が記されています。淋菌・梅毒を避けるため遊女を近づけない、タバコを吸わない、生水を飲まないなど、その知識は現代でも通じるほど科学的です。

家康は薬にも興味をもち、みずから多くの薬を調合しています。当人が用いた薬種と製薬道具の目録が「駿府御分物御道具帳」(全11冊!)に載っていますが、用いた薬種は、麝香、龍脳、人参、蜂蜜、犀角、大黄、甘草、没薬、麻黄、附子、肉桂など160種にも及びます。

もっとも医学知識に自信があるゆえに、患者としては医師泣かせ。晩年の鯛の天ぷらにあたって・・というエピソードは有名ですが、この際も自身で寸白(サナダ虫)と診断し、自身で調合した薬を内服し続け、医師のすすめる薬は飲もうとせず。

最後は怒って医師を流罪にしてしまいます。発症から亡くなるまで3カ月かかっていること、体重減少傾向があったこと、医師が腹部腫瘤をふれたこと、吐血と黒色便があったことが記録されており、死因は食中毒ではなく胃癌ではないかともされています。

健康維持は現代でも生活習慣の改善から。「これだけ飲めば大丈夫!」のような魔法の薬はありません。

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和食でもメタボ

春は健診のシーズン。

肥満、高脂血症などを指摘され、来院される患者さんもいます。

まずは食事や運動など生活習慣の改善指導が行われます。

ユネスコ無形文化遺産に登録された和食は、栄養バランスのとれたヘルシーな食事として知られています。「昔の日本にはメタボなどの問題はなかった」と言いたいところですが、やはり摂取量が多く、運動量が少なければ当然メタボになります。

映画やドラマでは華奢に描かれることが多い、豊臣秀頼などは立派な肥満の一人です。残っている記録では身長6尺5寸(約197cm)、体重43貫(約160kg)とも伝わっており、規格外の巨漢だったことが分かります。成人後、二条城で徳川家康と会見した際、家康がその「成長」の脅威を感じたというのも無理もないですね。

教科書などで有名な肖像画は養源院(京都)に伝わるものですが、これは直衣姿で少年期のもの。ほっそりした優男です。青年期の肖像画も実はあり、東京芸術大学附属芸術資料館に伝わっています。こちらは束帯姿で立派な体格、顔もパンパンです。まぁ大巨漢が大坂城内を逃げ惑うでは悲劇の大坂夏の陣のイメージにはそぐわないでしょうか。

肥満、高脂血症の改善のためには、食事の内容と量、そして適度な運動がかかせません。

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三寒四温

今日は冬に戻ったかのような1日。関東では雪も降ったようです。

しまいかけだった冬物コートも再登場で出勤しました。つい「三寒四温」という表現を思い浮かべ、春が寒暖差の大きい時期であることを実感します。

実はこの表現、もともとは日本の気候を説明したものではありません。本来は冬の中国東北部や朝鮮半島北部の気候を表す表現(シベリア高気圧からの寒気が7日周期で強まったり、弱まったりする)でしたが、日本の冬にはこのような現象がないので、次第に寒暖の大きな春に使われるように変わっていったようです。

とはいっても、もっぱら早春に使われる表現。桜に青葉が混じる今の時期にこの言葉が思い浮かぶようでは、やはり特別に寒いのでしょう。

今日の外来でも、風邪をひいたと訪れる患者さんが結構来院されました。体温調節のできる服装、外出後の手洗い・うがい、十分な休養に注意が必要です。

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医者の不養生

本日は年に1回の定期健診。「医者の不養生」という先人の言葉を、しみじみとかみしめる日でもあります。規則正しい食事、十分な睡眠、情動ストレスの管理、定期的な有酸素運動、減量、野菜・魚の積極的な摂取・・などなど、患者さんには日々指導しているわけですが、もっとも不健康な生活をしているのが自分だったりします。

メタボリックシンドロームを略した「メタボ」という言葉が広く浸透してきたことからも、肥満(とくに内臓脂肪)が健康のリスク要因であることは一般の方にも認識されるようになってきている印象です。

一方で超高齢社会に突入している日本では、過栄養とは対極とも言える、高齢者の低栄養・虚弱の問題もクローズアップされつつあります。「フレイル」とも呼ばれますが、「メタボリックシンドローム」と比べれば社会の認知はまだまだ。加齢に伴う筋力低下にタンパク質摂食不足による筋量低下が加わり、外出が減り活動低下、人と接する機会が減るので認知機能が低下、さらに食事バランスが崩れて・・と悪循環を繰り返し、寝たきりの一因ともなる病態です。

「過栄養」だけでなく「低栄養」の問題も健康年齢の延長のための重要な課題となってきそうですが、まずは自分の生活習慣から見直さないとな・・ 少々キツくなってきたウエストを見ながら考えた1日でした。

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春の風邪

桜にも青葉が混じるようになってきましたが、暖かくなったり、寒くなったりの気候がまだ続きます。今日の外来でも「風邪をひいた」と何人もの患者さんが来院されました。

私も毎年必ず、桜咲く頃に風邪をひいて、ほとんど年中行事となっているのですが、今年は来ないのかなと思っていたら喉に違和感が出てきて、今日はのど飴をお供に出勤です。

「春の風邪」は俳句の季語にもなっており、俳句では正岡子規の「蒲団着て、手紙を書く也 春の風邪」のようなのどかなものが多いのですが、実生活では、なかなか風流を決めこむわけにもいかない厄介な「風物詩」です。

現代でも風邪に特効薬はないわけですが、やっぱり困るので、昔から治療法が色々模索されています。平安時代の日本最古の医学書「医心方」ではニンニクが風邪薬としてあげられ、江戸時代に入ると学者の貝原益軒が風邪薬としてショウガの服用をすすめています。

確か平安時代の「源氏物語」には「ひどい風邪で熱さましのためニラを飲んだので、臭くてお会いできません」というようなことを言って、面会を断る場面があったような・・・ 記憶曖昧ですが、仮病の場面だったと思います。ニラの口臭を口実とした面会謝絶は現代では通らないでしょうね。

ニンニク、ニラ、ショウガ。現代からみても効能ありそうな3食材ですが、全部とると明日の外来は源氏物語以上の大惨事となりそう。今日の夕食はすりおろしニンニク、ショウガで鍋あたりに留めたほうが無難でしょうか。

春風邪だけでなく、まだインフルエンザもパラパラ発生しているようです。皆様も手洗い、うがいで予防に気を付けて下さい。

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今も昔も

初登場の院長です。

基礎工事もいよいよ完了。そろそろ外壁材を決める必要があり、4/4関係者一同で協議。ナチュラルな木目調の茶と、白の2色に決定しました。木のぬくもりを感じられるような和のテイストを基調としたデザインを目指しています。

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建物を雨風、火災から守るとともに、外観の表情を決める外壁材は今も、昔も建築時の重大項目のようで・・ 例えば城では、俗に「黒い城」豊臣系、「白い城」徳川系などと言われることがありますが、時期による材料の変遷、流行りも大きいようです。「黒い城」として代表的な大坂城(今の大坂城ではなく豊臣期)、松本城などは漆が使われています。漆は防腐性、防火性にすぐれているものの紫外線の影響で変色しやすいので、頻繁に塗る必要があります。豊臣期には黒い城が流行るのですが、漆は高価なので裕福でないとなかなか使えず、例えば私の母校のある島根県の松江城などは「黒い城」ですが炭に柿渋を塗ったものです。こちらは長くもつので、金銭面重視の選択ですね(こちらが多数派です)。豊臣秀吉は裕福なので瓦も金箔瓦と豪華絢爛!

対して「白い城」は、名古屋城、今修復で話題になっている姫路城などが代表的ですが、漆喰が広まったことにより徳川期に普及します。防火性にすぐれて、外観も優美ですが、雨で剥落しやすいのが弱点。当時10年程度で塗り直しが必要で、コストが非常にかかります。

まぁ徳川家本家の江戸城自体が10年ほどで漆喰がはがれはじめ、漆喰はがして一旦黒塗りにして、修復しようかどうか悩んでいるうちに焼失してしまって、結局そのまま・・という調子。機能や外観美へのこだわりと、財政面のバランスの悩みは今も昔もかわらないようですね。

現代の外壁材は30年も耐久性があるようです。外観もイメージ通りにできあがってくるか楽しみです。今後名誉院長とともに、私も開業までの道のりを綴っていく予定です。よろしくお願いします。

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