連休

今日は3連休の3日目。5月5日は五節句の1つである端午の節句です。

奈良時代には定着し愛されている年中行事で、平安時代中期の随筆「枕草子」の中で清少納言は「節句の中でも端午の節句に及ぶ月はない」と述べ、菖蒲や蓬の香りを楽しんだりする様子を書き残しています。菖蒲も蓬も邪気をはらう薬草とされており、軒先につるしたりして無病息災を祈りました。現代でも55日に菖蒲湯に入る風習が残っていますね。

鎌倉時代に入り武家社会になると同じ読みの「菖蒲」と「尚武」をかけて鎧兜、五月人形を室内に飾り、勇ましい男の子の成長を祈る行事に変化しました。

端午の節句の定番の鯉のぼりの誕生は比較的新しく江戸時代。龍門という急流を登り切った鯉が龍になったという中国の伝説「鯉の滝登り」にちなんで立身出世の願いが込められるようになりました。こちらは武家ではなく江戸の町人から始まった風習だそうです。

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なかなか自分で鯉のぼりはあげられないので、近場のノリタケの森の空で泳いでいる鯉のぼりを鑑賞して端午の節句気分。

大型連休中は行楽地はどこも人で混んでいるので、歴史探訪と運動を兼ねて安土城を訪れました。非常にメジャーなお城ですが大型連休中でも、まず待ち時間が発生するほどの行列ができたりすることはありません。山城なので探索はちょっとしたハイキングになります。運動量が物足りない方はすぐ隣が六角氏の観音寺城で、こちらも戦国時代最大級の規模の山城なのでハイキングに追加すると運動強度を調整できます。

DSC00867                安土城大手道

近世城郭の先駆けといわれる信長の城ですが、本能寺の変後に焼失し現在残っているのは天守台、主要廓の石垣。写真向かって左は羽柴秀吉屋敷跡、右が前田利家屋敷跡と伝わっています。お隣同士ですね。

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黒金門跡 ここから先が本丸です

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天守台礎石群 この上に5層7階の巨大天守がそびえていました

安土城以降、天守建築が大流行しますが、天守に住んでいたのは信長だけです。

麓では田植えが始まっており、水の入った田では蛙も熱唱。非常なのどかな光景でした。

連休で気力も充電。明日6日は通常通り診療を行います。山城巡りは、負荷を少しかけて有酸素運動を行うことができます。医師より運動習慣をもつよう言われている方は取り入れてみてもよいかもしれません。これからの時期は外出時の水分補給は忘れずに。

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