余力

シルバーウィークも終了。内覧会も週末に迫ります。

本日夕方には診察室、処置室のカーテンも取り付けられました。

進む作業を見つつ、私はスタッフの10月の勤務表を作成。

組織としては余力をもった編成が望ましいところですが、まだ立ち上がってすらいない組織。少数のスタッフで切り盛りの算段をつけることになります。2割がサボって組織の余力を保つともいわれる働きアリの世界は贅沢ですね。

人間の世界でも江戸期の武士の組織は十分「余力」があったようです。こちらの実情は平和な世の中になって「余剰」というべきかもしれませんが。

例えば地元名古屋。尾張徳川家の藩士朝日文左衛門による膨大な日記「鸚鵡籠中記」が残っていますが(本人のつけた名前よりも「元禄御畳奉行の日記」の通称の方が有名)、これを見ると、なんと9日に1日ほどしか出勤していません。

筆者は御畳奉行という尾張藩の建物の畳を管理する下級役人。日記をみると酒肴を中間に運ばせて職場で酒盛り(勤務中の飲酒OK?)、非番の日(ほとんどが非番ですが)は同僚と連れ立って飲酒観劇、釣り、博打と薄給の中、仕事はソコソコに目いっぱい遊んでいます。

この朝日文左衛門は記録魔と言っていいほどの筆まめ。日記は26年8か月に渡ります。私が読んだのは中公新書のダイジェスト+解説本ですが、宴会の献立、接待(出張時は接待で豪遊)、釣り(生類憐みの令が出ている時代なので尾張藩でも禁止だが文左衛門はバカにしている)、観劇、博打から、城下の事件、尾張藩の表沙汰にできないゴシップ、自身の浮気までとにかくなんでも記録しています。

因みに筆者は禁酒をすすめられても酒がやめられず、アルコール性肝硬変と思われる病気で45歳の生涯を閉じています。現代でも慢性アルコール中毒の方の禁酒継続はなかなか大変。今も昔もかわりませんね。

さて小さなクリニックの「余力」は「尾張藩」にも「アリの社会」にも遠く及ばず。大変ですがスタッフ全員でコツコツ頑張って立ち上げていくしかありません。

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大詰め

シルバーウィーク初日に入りました。

あちらこちらで秋の虫の鳴き声。小さな音楽家達の演奏会です。

10月の開業まであとわずか。準備はいよいよ大詰めです。スタッフで手分けをして、開業準備をすすめています。

CT、エコー、膀胱鏡など主要なものは搬入終了。随分クリニックらしくなってきましたが、まだまだ細かいところでつめなければいけない部分が残っています。

万全の状況でオープンできるよう準備をすすめていきます。

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併設している心理相談室です。現在は開業準備のミーティングルームとしても重宝。

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日没後のクリニックの光景

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台風接近

台風18号が東海地方に接近しています。

本日は開業に向けてのスタッフトレーニングの初日となる予定でしたが、急遽中止となりました。今の上飯田は雨は降ったりやんだり。所々局地的に豪雨になっているようです。皆さまご注意ください。

家具の搬入は予定通り行う予定。搬入時には雨・風落ち着いていて欲しいところです。

スッキリしない天気が続きますが、開業の準備の合間を縫って先週末は愛媛に旅ランに。名目は減量目的のランニングですが、史跡巡りがしたいだけかも。名物食べ歩く(走る)ので体重減ったためしがありません・・

最初晴天でしたが、次第に小雨がぱらつくように。幸い大雨にはならず快適に走れました。

まず松山城。賤ヶ岳の合戦で有名な7本槍の一人、加藤嘉明が築いた平山城。日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちの一つです。櫓、高石垣、石落としなどを多数備えた実戦仕様。外装は「豊臣系」なので黒塗りです。

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「賤ヶ岳7本槍」の言葉は有名ですが、7本槍すべて言える人はよっぽどの日本史好き。加藤清正、福島正則、加藤嘉明、片桐且元あたりは歴史ドラマなどでも常連なので知名度ありますが、例えば平野長泰などは大名にすらなれず豊臣家でも不遇で地味。

7本槍の中で唯一、大阪の陣で豊臣方に合流しようとした律儀な人物ですが(家康に江戸に留め置かれ結局は合流できなかった)、逆に徳川家に評価され地味な平野家はなぜか明治維新まで続くことになります。メジャーの加藤家、福島家などが警戒されて取り潰されてしまったことを考えると歴史は皮肉ですね。因みにこの平野長泰を主人公として司馬遼太郎が短編を書いています(権平五千石)。もっともこの小説では律儀者としてではなく、自分を非凡に見せようとして勝ち目のない豊臣方への与力を家康に宣言しにいき、子供のように扱われるというように、ちょっと皮肉っぽく描かれているので、折角の主演ですが長泰としてはうれしくないかも。

さらに走っていくと湯築城跡が見えてきました。伊予国守護の河野氏の城ですが長曾我部元親に攻められたり、豊臣秀吉の命をうけた小早川隆景に攻められたりと苦難続き。堀、土塁などの遺構がよく残っています。

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すぐ近くには道後温泉があり、ここでひと風呂浴びてスッキリ。でもこの後も走ることになったので、すぐに汗だくで元通りになってしまいましたが。

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少し欲張って宇和島の宇和島城に。建築は築城名人の藤堂高虎。伊達政宗の庶長子伊達秀宗が入城して以来伊達家の居城となりました。本来海城ですが、今は周囲が埋め立てられています。これまた現存12天守の一つ。優美な天守です。天守からみるリアス式の宇和島の海もきれい。強行日程でしたが良い気分転換になりました。

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ふと外を見ると風が強まり、クリニック前のカラーコーンが倒されました。

無事に家具搬入できるかな。

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内部の準備

急ピッチで内部の準備がすすんでいます。

ガラガラだった待合室にも今日椅子が入り、だんだんクリニックらしくなってきました。落ち着ける待合室になっているでしょうか。

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CTも組立が一段落。まだ手前にスペースが空いていますが、ここには今後X線装置が入ってきます。

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CT搬入・組み立て

建物の建築は一段落。昨日よりCT搬入も始まっています。

クリニックの狭い入口を通すため、分解して撮影室まで搬入。内部で組み立てが進んでいます。明日あたりで完成の見通しです。

なかなかCTの内部を見る機会もないので、今日朝一番の様子をパシャリ。順次超音波の機械なども入ってきます。

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まだ机や椅子が入っていないので、待合室もガランガラン

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受付からみた待合室の様子です

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残暑

朝夕は秋の気配を感じますが、まだまだ日中は暑い日が続きます。

人数は減ってきているものの、まだ脱水症状で搬送される方はおり熱中症、脱水症への警戒は必要です。

クリニックの建物はいよいよ来週月曜日に引き渡し。機械類の搬入などはこれからです。

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10月開業にむけ、着実に準備をすすめます

 

 

 

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採用面接

昨日はクリニックの採用面接でした。

うだるような炎天下の中、面接のために足を運んでくださった皆さま、ありがとうございました。

限られた時間の中で過不足なく自分の思いを伝えきるのはなかなか難しいですね。

面接でよく聞かれる長所と短所にしても、2つは表裏一体。ある局面での長所は、また違った局面では短所として働くものでもありましょう。今回は質問する側でしたが「自分が聞かれたら、どう答えるかなぁ」と考えながら面接に参加していました。「正しい答え」というのはありませんしね。

本来複雑な人間のうちの一面を、わずかな時間垣間見て、それで全体をある程度見たことにする(するしかない)「面接」はかなり大変な、そして考えてみればとんでもないことでもあります。

「働かないアリに意義がある」という進化生物学者の長谷川英祐さんの著書があります。社会の維持に「働かないアリ」の存在が不可欠であることを示した興味深い内容。全員が一斉に働くシステムだと、全員同じくらい働いて、全員同時に疲れて果て、誰も働けない時間が生じてしまうのでコロニーの維持に重大なダメージを与えてしまうというもの。

組織の維持に余力が大事。

・・・とはいえ、まだ立ち上がってすらいないクリニック。

余力は残念ながらなく、少数のスタッフが全員で頑張って立ち上げていくしかありません。

社会にとって意義のある存在になり得るのか。ここからが正念場です。

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几帳面じゃなくても

感染治療の歴史の中で抗菌剤開発の礎となったのが人類初の抗菌薬ペニシリンです。この発見は全くの偶然・・というより失敗から見つかったもの。先日とりあげた梅毒治療もペニシリンの開発により大きく前進しました。

1928年イギリスの微生物学者フレミングがブドウ球菌の培養実験中に、窓際に放置してしまったので青カビが混入。カビーのコロニーの周辺にブドウ球菌が生育しない領域(阻止円)が作られていることを発見します。青カビから細菌を殺す成分がでているのではないかと考え抽出されたのがペニシリンです。

名前の由来は青カビの学名がPenicillum notatumだったので、ここから。

凡人では「ああカビが生えちゃった」で捨ててしまうところですが、そこでよく観察し疑問点を抽出するあたりが、さすが科学者。

このフレミング、ペニシリン発見前にも、やはり細菌の塗抹試験の最中にクシャミをして、数日後に顕微鏡で確認すると唾液のついた場所の細菌のコロニーが破壊されていたことから、唾液の中に細菌を破壊する酵素(リゾチーム)があることを発見したりしています。

現在リゾチームは食品添加物として使われています。もちろん唾液からではなく、卵白から作っているようですが。

観察力は素晴らしいけど、培養中に唾液を飛ばしたり、忘れて検体を窓際に放置したり・・と、実験としてはちょっとズボラな気も。世の中几帳面な人だけでは駄目ということでしょうか。

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梅毒 波濤を超えて

かつて梅毒は完治が期待できない性感染症として恐れられていました。江戸時代の医師、杉田玄白は「已に痘瘡・黴毒、古書になくして後世盛に行はるる事あるの類なり」と書き残しています。昔は医学書に天然痘や梅毒について書かれていなかったのに、最近は増えたという意味。杉田玄白といえば「解体新書」の翻訳にかかわった、日本の解剖学の先駆者として中学の歴史の教科書にものっている訳ですが、専門分野は「梅毒」でした。杉田玄白は「自分の患者の1000人中700~800人が梅毒」と書き残していますが、今とはくらべものにならない有病率の高さに驚きます。

梅毒はスピロヘータというらせん状の微生物の一種である、梅毒スピロヘータによる感染による疾患です。起源は諸説ありますが、通説ではコロンブスがアメリカ大陸よりヨーロッパに持ち込んだというもの。梅毒はヨーロッパ全域に広がったあと、大航海時代の波にのり、バスコ・ダ・ガマがインド航路を発見すると、インドに上陸。その後中国に達すると、日明貿易経由で日本にも梅毒が伝来します。日本で梅毒が初めて記録されたのが1512年。種子島への鉄砲伝来は1543年ですから、鉄砲よりも早くヨーロッパから伝来したことになります。

波濤を超えるスピロヘータの大冒険といったところで、いかにもバイタリティーにあふれた生物といった印象をうけるかもしれませんが、梅毒スピロヘータ自体は生体外では長時間生存できない弱々しい微生物。ヒトと共に生きる道を選んだ割には筋肉、臓器、中枢神経まで侵す困りものです。

梅毒診療を専門とした杉田玄白ですが、残念ながらこの時代有効な薬は開発されていません。1775年長崎にオランダ東インド会社の外科医として赴任したツェンベリーが水銀を服薬する治療法を伝え効果を上げたとされますが、水銀中毒のリスクを負う危険な治療でした。

1910年には秦佐八郎らがサルバルサンを開発しますが、これまたヒ素で危険な治療。効果も不十分だったようです。ノーベル賞の候補にも挙がりましたが、最終的には受賞を逃しました。

1927年にウィーンの精神科医ユリウス・ワグナー・ヤウレッグが、梅毒患者をマラリアに感染させて高熱で梅毒スピロヘータを殺すという壮絶な治療法を開発。

梅毒治療の歴史は毒をもって毒を制するものばかり・・・

しかし当時として画期的な治療で第27回ノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

梅毒が安定して治療できるようになったのは1941年、ペニシリンが開発されてから。われわれ泌尿器科医が安心して梅毒治療にあたれるようになったのも、先人の苦闘のたまものなんですね。

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人類の歴史と共に

暑い日が続きます。

熱中症で救急搬送される方も増えています。

脱水傾向になるこの時期、熱中症とともに患者の増加する病気があります。

尿管結石です。強い側腹部から背中にかけての痛みが特徴的で、しばしばひどい嘔気を伴います。救急車で搬送されてくる方も多いです。わが国では男性の7人に1人、女性の15人に1人は一生で一度は尿路結石に罹患すると言われており、かなりの頻度の高い疾患といえます。結石の歴史は古く、エジプトのミイラでも確認されています。昔から人類を悩ませていた疾患なんですね。日本でも昔から患者がおり、徳島で民間療法として使われていたウラジロガシのエキスは、現代でも排石促進薬として全国の病院で使われています(商品名 ウロカルン)。ウラジロガシはブナ科のいわゆるドングリのできる木のひとつ。ドングリの実の方は渋いらしく、あまり食用としては利用されてこなかったみたい。

予防のためには、しっかり水分をとることが大事。近年結石の罹患率は上昇しており、最近はメタボリックシンドロームとの関連も指摘されています。

メタボといえば、その中で生活習慣病のひとつとされる動脈硬化症が長寿社会日本では問題になっていますが、古代の世界4地域のミイラを調べた結果「動脈硬化の原因は特定の食物や生活習慣によるものではない」とする論文が、米国の医学誌「Lancet」に出ていました(Randall C. Thompson ら p1211–1222, 6 April 2013)。食生活、生活習慣の異なる世界4地域のミイラ137体をCTを用いて調べた結果、45体で動脈硬化所見があり、古代エジプト人、古代ペルー人、古代ブエブロ人、アレウト族(狩猟採集民族、海産物やベリー類を食べていた)のいずれにおいても一般的に動脈硬化が見られたとの結論になっています。メタボとは無縁の印象の古代人にも動脈硬化はあり、人類の歴史とともにある病態なんですね。

とはいえ油の多い食品や、運動不足が動脈硬化の進行を加速させるリスクがあることにはこの論文からは否定はできず、やはり生活習慣を適正化することは必要です。

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