いざ桶狭間へ

5/10に清州城跡から熱田神宮まで走ったので、今週末は続きで熱田神宮をスタートして桶狭間を目指して走ることにしました。先月とあわせて桶狭間の戦いのルート再現です(当時は干潮時の海岸沿いを走っているので道路事情が違いますが)。

1560年5月19日、主従6騎で清州を午前4時頃に出た信長一行は熱田神宮までの7kmほどを、4時間かけて疾走(時間かかりすぎ・・歩き?)、熱田神宮で1000人ほどがそろいます。

熱田神宮は遠い出雲と関わりの深い神社でもあります。熱田神宮の神宝は草薙剣(天叢雲剣)。出雲神話でスサノオが八岐大蛇(ヤマタノオロチ、斐伊川がモデルとも)を退治して際に大蛇の尾からでてきた剣です。スサノオが天照大神に献上、天皇家、伊勢を経て尾張に伝わったとされています。一説には尾張の語源自体が草薙剣がヤマタノオロチの尾を割ってでてきたから(熱田国風土記逸文)というのもあるようですが、これには異論も多いみたい。草薙剣については江戸時代熱田神宮の神官が実見した記録が残っており、長さは2尺8寸(約85cm)、刃先は菖蒲の葉のようで、中ほどは厚みがあり、木の方は魚の背骨のような節が立っており、全体に白っぽい剣だったと記録されています。弥生時代に作られた白銅製の剣の特徴だそうで随分長い剣のようです。御神体として扱われているので、まず一般人が拝観することは許されませんね。

熱田神宮を出て東に走り、途中ちょっと道草をして笠寺観音に。尾張4観音の一つです。

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さらに東へ。信長軍は善照寺砦(今は公園)で、ようやく全員揃い、3000名ほどになります。

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旧東海道を走り抜けます

ここから桶狭間へ向かい今川義元を討ちとるわけですが、本当の古戦場の位置は現在でも様々な説があります。そのうちの一つとして国指定史跡、桶狭間古戦場が整備されています。

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まだ随分体力が残っていたので、さらに東へ。桶狭間の戦い前夜に今川義元が泊まった沓掛城跡に向かいました。北方の長久手、岩崎方面からの街道と鎌倉街道の交叉地点である要衝の地に。現在は城跡公園として整備されていますが、本丸、堀、諏訪曲輪など遺構が意外に良く残っています。

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沓掛城跡、今川義元もこれが最後の一夜とは思わなかったでしょう

さすがに足も疲れてきたので、最寄りの前後駅まで走って、ここでゴール。帰りは電車に。これからさらに暑くなるので、屋外活動の際は水分摂取を意識的に行う必要があります。だいぶ水分とりましたが、それでもランニング前後でマイナス1kg強。思った以上の脱水状態です。

DSC00229        現場の状況 正面の自動扉がついています

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