戦国時代の健康マニア

インターネットが普及し、様々な健康情報が溢れています。科学的な情報もあれば、怪しげなものも随分混じっています。

昨日の豊臣秀頼がメタボの代表とすると、その相手の徳川家康は「健康マニア」と言っていいほど養生に励んだ人物として有名です。秀頼と対決する頃には太ってきてはいますが。

運動を健康法としても認識した先駆者の1人でもあります。徳川実記(江戸幕府の公式文書)には、刀の修練、乗馬、水泳に励む様子や、晩年頻繁に行った鷹狩などは朝早起きして運動するので、朝食もおいしく、夜もぐっすり眠れるので良薬にまさる養生と述べた様子が記されています。淋菌・梅毒を避けるため遊女を近づけない、タバコを吸わない、生水を飲まないなど、その知識は現代でも通じるほど科学的です。

家康は薬にも興味をもち、みずから多くの薬を調合しています。当人が用いた薬種と製薬道具の目録が「駿府御分物御道具帳」(全11冊!)に載っていますが、用いた薬種は、麝香、龍脳、人参、蜂蜜、犀角、大黄、甘草、没薬、麻黄、附子、肉桂など160種にも及びます。

もっとも医学知識に自信があるゆえに、患者としては医師泣かせ。晩年の鯛の天ぷらにあたって・・というエピソードは有名ですが、この際も自身で寸白(サナダ虫)と診断し、自身で調合した薬を内服し続け、医師のすすめる薬は飲もうとせず。

最後は怒って医師を流罪にしてしまいます。発症から亡くなるまで3カ月かかっていること、体重減少傾向があったこと、医師が腹部腫瘤をふれたこと、吐血と黒色便があったことが記録されており、死因は食中毒ではなく胃癌ではないかともされています。

健康維持は現代でも生活習慣の改善から。「これだけ飲めば大丈夫!」のような魔法の薬はありません。

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