通勤途上、あじさいの花を見つけました。実はそろそろかなと少し遠回りをし、見に行きました。写真も撮りましたが今日は遅刻はしませんでした。
この数日は、少し暑いけど、からりと晴れて、日陰では快適でした。明日から天気は下り坂、雨の季節はもうすぐです。
通勤途上、あじさいの花を見つけました。実はそろそろかなと少し遠回りをし、見に行きました。写真も撮りましたが今日は遅刻はしませんでした。
この数日は、少し暑いけど、からりと晴れて、日陰では快適でした。明日から天気は下り坂、雨の季節はもうすぐです。
痛みもなく、簡単で確実ながんの発見方法はないか。
尿の臭いでがんを発見する方法が世界中で模索されています。泌尿器科の代表的な医学誌(THE JOUNAL of UROLOGY)に電子鼻(electronic nose)を使って尿で前立腺癌の有無を判別しようというフィンランドのグループの論文がのっているのをみて、日本でも3月に線虫を使った実験が話題になったのを思い出しました。
九州大学の研究チームによる報告で、体長 1mmの線虫に、がん患者とそうでない人の尿を嗅がせると、そうでない人の尿を避け、がん患者の尿に反応をしめしたというもの。
実験に使用された線虫は犬と同程度の約1200種の嗅覚受容体があるそうで、非常に「鼻がいい」ようです。なお嗅覚神経を破壊すると、この反応は消失しており、著者らは「線虫はがんの有無を臭いで判別し、しかもその臭いを好む」という結論を導いています。
がんの種類は同定できないようです。逆にいうと、がんに共通の「臭い」があるということでしょうか。
嗅覚といえば、代表は犬。犬はかなり以前から研究されており、最近の発表ですと、今年3月の「第97回米国内分泌学会」で訓練された犬が尿から甲状腺癌が嗅ぎ分けられることをアーカーソン医科大学が報告をしています。34の尿サンプルから30の甲状腺癌を正しく診断できたそうです。
犬が診察室でがんの有無を教えてくれるなら非常に助かりますね。
横で座っていてもらって、膀胱がんなら「ワン」 前立腺がんなら「ワンワン」 腎がんなら「ワンワンワン」 素晴らしい! 無駄な痛い検査もずいぶん減ります。
ただ犬は個体差があり、訓練も必要な様子。1クリニックに1匹とはいかないようです。
線虫飼いますか・・・ うーん・・・
いずれの研究も、がん患者さんの尿に含まれる特異的な物質の同定にはいたっておらず、さらなる研究や、再現性の有無の評価などが必要な段階ですが、将来尿でがんの有無を簡便に評価できる日が来るかもしれませんね。
窓枠、外装の下地ができあがってきています。
訪問時には雨がパラパラと降ってきていました。今はずいぶん本降りで、外でザーザーと降っています。こうして書いていると、日本語は随分、擬態語が豊富な言葉ですね。
パラパラ、ポツポツ、シトシト、ザーザー、サーッと、ジトジト
ぱっと思いつく分でも雨の表現だけで結構ありそうです。多用すると子供っぽい表現になるためか、公式的な文では使われない印象もありますが、我々の医学の世界で、大手を振ってまかり通る擬態語もあることを思い出しました。
病名の「もやもや病」です。脳血管撮影をすると正常の太い動脈が写らず、毛のように細い多数の異常な血管がもやもやと写ることからついています。ウイリス動脈輪閉塞症という名もあるわけですが、教科書などでカッコにいれられるのはいつも後者。擬態語の方が優遇される稀有な例でしょうか。
最近、晴耕雨読ならぬ晴走雨読の生活を送っていますが、今晩は本は本でも医学書で調べものの予定。どんな小説よりも、速やかに「夢の世界」へといざなわれる魔法の本。ベッドで開けば効果てきめんです。
先日のことですが中学時代の仲間と矢場地蔵にある飲食店で会合(飲み会)があり、やや早く到着したので、会場へは遠回りして、久々に大須の街を歩きました。矢場地蔵は大須商店街のはずれにあります。大須の街は土曜日だったせいか、多くの若い人、外国人が行き交い、大変なにぎわいでした。
私は地元大須小学校の出身で、学校が終わった後、当時あまり人通りがないこのアーケード街をぱたぱた、ぱたぱたと友達と走り回っていました。私が育った時代は、高度成長期と呼ばれる、名古屋の郊外発展の時期で、名古屋市に緑区や守山区ができて、ドーナッツ化現象という言葉が作り出されていました。中心部の人口が減り、住宅や人は郊外にどんどん移っていきました。郊外からの買い物客は市電や市バスに乗って松坂屋、オリエンタル中村(今の三越)、丸栄(当時の三大デパート)がある栄町(さかえまち)周辺のみに集まり、わざわざ大須まで足を延ばす人は少なくなっていました。
全国的にもアーケード商店街がそのままシャッター商店街になってしまう社会現象の中、大須の町は、その流れを断ち切りうまく立ち直ってくれています。
にぎやかな商店街の中を、観光客のようにきょろきょろあちこち見てまわりました。小学生のころ書初めを奉納した(させられた)神社、古くからあるお店、新しいお店、私には何を売っているのかわからないお店・・などなど大変刺激的でした。名古屋なので、味噌を売りにしている食べ物屋さんが目につきました。
「味噌から揚げ」なる大ちょうちんをぶら下げているお店がありました。名古屋ですから八丁みそ味なんだろうけど・・・。想像つきません。
次は当地限定「赤みそカレー」想像できないことはないけど・・。
そして全国区、矢場とん「味噌カツ」これはわかります。でも矢場とんの看板は50年前よりずいぶん洗練されています。看板の豚さんがきれいで、品がよくなりました。私の記憶では50年前の看板は現在の位置よりもう少し赤門通り寄りの路地裏にあって、ペンキの剥げた、下品な豚さんが狭い道路に今にも落ちそうにせり出していました。
矢場地蔵に到着しましたが、私の通学路から100mほどなのに全く覚えがありません。50年前にはなかったのではないかとも思いましたが、由緒を聞くと元禄時代からあったとのこと、失礼しました。 会の中で仲間に聞くと、当時ここは地下鉄南北線(現在名城線)の工事で掘り返していたり、重機置き場になっていて近寄ることができなかったとのことでした。
飲み会は開店から閉店まで続き、昔の中学生たちは夜の更けるのも忘れて、よもやま話に花を咲かせていました。
今日は雲一つない晴天。
予定通り桶狭間の戦いにならって、清州から熱田神宮まで走ります。
史実の午前4時はさすがに早い・・ 9時に清州城跡からいざ出陣!現在立っている天守は平成元年に作られた模擬天守で、本来城があった場所は五条川をはさんだ向かいにあります。城跡は東海道本線と東海道新幹線によって分断される形。当時の城がどのようなものだったのかは資料も残っておらず、詳細は分かっていません。
清州は1610年に家康の命令で城下町ごと名古屋城下に引っ越した「清州越し」までは尾張の中心地でした。清州城は名古屋城の資材として流用されており、例えば名古屋城の御深井丸西北隅櫓は清州城の天守の資材を用いたとも伝わります。
4日連続のランとなり、さすがに両下肢が重い・・ ただ、飛ばさなければ問題なさそうです。走りはじめてすぐに、キリンビールの名古屋工場が見えてきました。ビアレストランもあるそうで「ビールもいいなぁ」とそそられますが、まだ走り始めたばかり。今日は通過です。次走るときは順路を逆にするといいかもしれまません。もう桶狭間関係なくなりますが。
それほど遠回りにもならないので、名古屋城をかすめて走るようにコースを変更してみました。先ほどの西北隅櫓まで見ようとすると、回り込まないといけないので今日はパス。なおこの櫓は清州櫓とも呼ばれ、重要文化財です。
大須観音で給水して一息。熱田神宮まで、あと少し。大須観音はもともとは岐阜県の羽島市にあった寺ですが、これもまた名古屋建設にあたり引っ越してきています。
1時間45分ほどで熱田神宮に到着できました。名古屋城まわった分、距離は当初予定より少し増えて15km。鎧などもない軽装なので、4時間はやはりかかりませんね。熱田神宮には桶狭間の戦いに勝った戦勝のお礼として信長が寄進した築地塀が残っており「信長塀」と呼ばれています。
このまま桶狭間まで「進軍」したいところですが、用事があり今日はここまで。これを書きながら、ひっぱりだした「信長公記」を読んでいますが、肝心の戦場の場所は不明瞭。だから色んな説がでてくるんですね。