梅雨

降ったり、やんだりの気候が続きます。

いかにも梅雨の時期の天候ですね。

梅は春の花のイメージが強かったので、なんで梅雨というんだろうと調べてみると、梅の実が熟する時期からだとか。一説にはこの時期は湿気が高くカビ(黴)が生えやすいので「黴雨(ばいう)」と呼ばれ、この音が転じて梅雨とよばれるようになったとも。カビでは語感が悪すぎる・・風情もふっとんでしまいます。素直に梅のなる時期の方がいいな。

普通に読むと「つゆ」とは読めませんが、なんでかな。

「つゆ」が最初から日本にある言葉で、中国からはいってきた「梅雨」と無理やり結んだんだろうと思っていましたが、調べてみると「つゆ」と呼ばれるようになったのは江戸時代からとのことで、「ばいう」が先で、「つゆ」が後のようです。「露(つゆ)」から来たなど諸説あるようです。

風情では梅の実ですが、医療の点では、この時期は体の表面に生えるカビ「白癬」(足にできるといわゆる水虫)やら、「食中毒」やらが猛威を振るい、患者さんが増える時期でもあります。

食中毒というと、飲食店のニュースが目につきますが、食中毒の20%は家庭で発生していると言われます(厚生労働省報告症例)。その90%は細菌性の食中毒です。

予防の3原則は原因菌を「つけない、増やさない、殺す」とされています。

新鮮な食材を購入する。冷蔵や冷凍の必要な食品は買って帰ったら、冷蔵庫、冷凍庫にすぐに入れる。細菌の多くは10℃以下で増殖がゆっくりになり、-15℃以下で増殖が停止します。冷蔵庫、冷凍庫にいれると細菌が死ぬと勘違いしている方も時々いらっしゃいますが、早めに使いきることが大事です。病原性の大腸菌O157などは室温では20分程度で倍に増えてしまいます。また細菌を殺すため、加熱が必要な食品は十分に加熱することも大事。中心部の温度、75℃以上1分以上が目安とされます。

あとは手洗い。調理前後、食事前はもちろん大事ですが、生魚、肉をさわったあとも次の作業に移る前に手を洗うことが重要です。

予防しても腹痛、下痢、嘔吐などの症状がでる場合、はやめに病院にかかりましょう。

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湖畔のランニングコース

今日は朝から雨。いよいよ本格的に梅雨のシーズンです。

先週末は残念ながら、胃腸炎のため家でおとなしくするはめに。水分はしっかりとって、食事は控える。腸管安静が基本ですね。

しょうがなくこれまでとった写真をパラパラ眺めていたら、少し前に日帰りで諏訪に行った時のがでてきて、その時のことを思い出したりして過ごしました。諏訪といえば、諏訪大社が有名。祭神は建御名方神(タケミナカタノカミ)。出雲大社の祭神、オオクニヌシの子とされます。大和朝廷の出雲侵攻で、オオクニヌシともう一人の子は出雲で降伏(国譲り)しますが建御名方神は承知せず戦いを挑み、やぶれて諏訪まで逃れ、諏訪で降伏したというのが「古事記」に残る言い伝えです。

ただ今回は日帰り強行日程。時間あれば寄ろうとは思っていましたが、ちょっと厳しかったのであきらめました。

諏訪大社にも行かず、何しに行ったのかというと、諏訪湖の周囲はグルリとランニングコースが整備されているので湖畔を走りにいったのでした。1周16kmと手頃な距離、アスファルト塗装に弾性のあるゴムチップ舗装をしていて非常に走り易い。当日は曇り気味だったので、残念ながら富士山はのぞめませんでしたが、湖をわたる風が涼しく快適に1周走ることができました。

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非常にいいコース。でも諏訪は少々遠くて、定番コースにはできませんね。

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上の写真の対岸。湖畔の風が心地よい

ランニング終了後、すぐ近くの高島城に寄って帰ることに。

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もともとは諏訪湖の水が城際まで迫り、諏訪の浮き城とも呼ばれた城ですが、現在は埋め立てすすんで住宅街の中。現在の天守は昭和45年の復興天守だそうです。

だいぶ胃腸の調子は良くなってきましたが、あと少し自制が必要な状況。ランニングは写真だけで、もう少し我慢。雨も降ってますしね。

クリニックの建築現場。案内板など細部をつめて準備をすすめています。

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いざ桶狭間へ

5/10に清州城跡から熱田神宮まで走ったので、今週末は続きで熱田神宮をスタートして桶狭間を目指して走ることにしました。先月とあわせて桶狭間の戦いのルート再現です(当時は干潮時の海岸沿いを走っているので道路事情が違いますが)。

1560年5月19日、主従6騎で清州を午前4時頃に出た信長一行は熱田神宮までの7kmほどを、4時間かけて疾走(時間かかりすぎ・・歩き?)、熱田神宮で1000人ほどがそろいます。

熱田神宮は遠い出雲と関わりの深い神社でもあります。熱田神宮の神宝は草薙剣(天叢雲剣)。出雲神話でスサノオが八岐大蛇(ヤマタノオロチ、斐伊川がモデルとも)を退治して際に大蛇の尾からでてきた剣です。スサノオが天照大神に献上、天皇家、伊勢を経て尾張に伝わったとされています。一説には尾張の語源自体が草薙剣がヤマタノオロチの尾を割ってでてきたから(熱田国風土記逸文)というのもあるようですが、これには異論も多いみたい。草薙剣については江戸時代熱田神宮の神官が実見した記録が残っており、長さは2尺8寸(約85cm)、刃先は菖蒲の葉のようで、中ほどは厚みがあり、木の方は魚の背骨のような節が立っており、全体に白っぽい剣だったと記録されています。弥生時代に作られた白銅製の剣の特徴だそうで随分長い剣のようです。御神体として扱われているので、まず一般人が拝観することは許されませんね。

熱田神宮を出て東に走り、途中ちょっと道草をして笠寺観音に。尾張4観音の一つです。

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さらに東へ。信長軍は善照寺砦(今は公園)で、ようやく全員揃い、3000名ほどになります。

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旧東海道を走り抜けます

ここから桶狭間へ向かい今川義元を討ちとるわけですが、本当の古戦場の位置は現在でも様々な説があります。そのうちの一つとして国指定史跡、桶狭間古戦場が整備されています。

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まだ随分体力が残っていたので、さらに東へ。桶狭間の戦い前夜に今川義元が泊まった沓掛城跡に向かいました。北方の長久手、岩崎方面からの街道と鎌倉街道の交叉地点である要衝の地に。現在は城跡公園として整備されていますが、本丸、堀、諏訪曲輪など遺構が意外に良く残っています。

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沓掛城跡、今川義元もこれが最後の一夜とは思わなかったでしょう

さすがに足も疲れてきたので、最寄りの前後駅まで走って、ここでゴール。帰りは電車に。これからさらに暑くなるので、屋外活動の際は水分摂取を意識的に行う必要があります。だいぶ水分とりましたが、それでもランニング前後でマイナス1kg強。思った以上の脱水状態です。

DSC00229        現場の状況 正面の自動扉がついています

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日陰者に注目

今日からはしばらく我が家の日陰者に注目です。かわいそうに「日陰でも育ちます」というエフをつけられ売られていました。昨年我が家の庭に仲間入りしたばかりの、まだまだ小さな「クチナシ」ですが今朝一輪開花しました。DSCF2133

八重咲きのクチナシで、あまり日が差さない場所にいても、健気に咲く清楚な白色の花です。

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夕方になるともう一輪開花していました。顔を寄せると甘い香りがします。

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もうしばらくすると庭に出るだけで甘い香りに包まれるでしょう。

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医神の時代

病気や負傷に対する治療は人類の文明の発生とともに始まりましたが、古代における医療は薬草などと共に、祈祷やまじないなども重要な役割を果たしたと考えられています。世界中で多くの医の神様「医神」が生み出されました。古代ギリシアのアスクレピオス、古代中国の神農などなど。なおアクスレピオス像の多くは蛇の巻きついた杖を持っていますが、蛇の像は以後医学のモチーフとして使われるようになります。ちなみに日本医師会のロゴはヘビです。

日本で医の神様というと、大国主命(オオクニヌシノミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)が代表的でしょうか。オオクニヌシは出雲大社の祭神。鮫をだました白兎が毛をむしられ海水につけられて苦しんでいるのを見て、白兎を真水で洗い蒲(ガマ)の穂の上に寝かして治したという「因幡の白兎」伝説も良く知られていますね。ガマは古くから収斂止血や火傷に対する薬草として利用された植物です。

       出雲大社の裏では白兎が大社を見つめています

一方、スクナヒコはオオクニヌシといつも一緒に行動する小人神。「古事記」、「日本書記」でも活躍する出雲神話の人気者です。

ある日オオクニヌシが出雲の海岸でブラブラしていると、ガガイモの船にのった小人が波間から登場。この小さな神がスクナヒコです。一寸法師のルーツとも言われる存在です。オオクニヌシとスクナヒコは兄弟の契りを結び、一緒に国造りのため全国大巡業にのりだします。薬学や防虫の技術を広め、松山では道後温泉を開発したことになっています。「伊予風土記」では長旅で病となったスクナヒコをオオクニヌシが道後温泉に入れて快復させた記載があり、道後温泉ではこの2神を湯神社に祭っています。治療としての湯治の歴史も古いですね。小さな神が国造りという大きなことを成し遂げるスケールのギャップが人気の秘訣でしょうか。

このコンビの道中はにぎやかで、「播磨風土記」では有名な我慢比べの話がのっています。出雲神話の中でも個人的には好きなエピソード。

旅の途中で、粘土を担いでいくのと、便を我慢するのはどっちが辛いかで口論になった2人。スクナヒコは粘土を担ぐことになり、オオクニヌシは便を我慢することになります。この変な意地の張り合いは数日続きますが、播磨に達した時オオクニヌシはついに「もうだめだ我慢できない!」と叫びだし、その場でしゃがんで便を漏らしてしまいます。スクナヒコは笑って「自分も辛くて」と粘土を投げ出してしまいます。一応、肥料(便)と土のことを暗喩しているらしいですが、神々のすべき高尚な議論といえる・・かな?

スクナヒコは国造りの事業半ばで、粟の茎にはじき飛ばされて常世の国(古代海の彼方にあると信じられていた不老不死の国)に帰っていってしまいます。残ったオオクニヌシも勃興する天高原系の神々(大和朝廷)に圧迫され、ついに国を奪われてしまいます(国譲り)。出雲は敗者の歴史と記憶が眠る場でもあります。

医のあけぼのについて書き始めたつもりが大脱線・・ それはまた次の機会で。

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偶然に・・

先週末は私(名誉院長)は酒蔵巡りに京都へ・・院長は旅ランに出雲へ・・。

京都へ出発すべく名古屋駅ホームで「のぞみ」を待っていると、「何か場違いなもの・何か見慣れたもの」が視野を横切ります。視線で追うと、なんとランニング姿のわが息子。「おいおい、ホーム走ってどうするんだ」「いまから出雲に走りに行くヨ」すでに完全装備のランニング姿、首にタオルかけて・・。時代劇の旅装束にあるような小さなリュックを背に、ほかには手に提げた弁当だけ。「出雲」ってそんなに気軽にいくところだっけ?同じ「のぞみ」で、それぞれの「のぞみ」で西に出かけた親子でした。

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神話の国、水の都

先日島根県の松江城の国宝指定が決定したことがニュースになりました。2年前には、出雲大社の遷宮も話題になったばかり。

私の出身大学は島根県の出雲にあります。出雲神話の舞台です。

前任の病院で伺った出雲出身の患者さんの話では、わが大学周辺も随分開発が進んだとか。数年「帰って」いないので、先週末は島根で旅ランと決めました。

土曜日の仕事が終わってからの強行軍なので、到着は夜になります。

岡山-出雲間を走る特急は「やくも」 遠心力で車両を傾ける自然振り子式の名物特急。

なにが名物かというと、動作が不安定で酔いやすいこと。曲線の多い伯備線をひたすら揺れながら走っていくので、乗り物酔いしやすい人は要注意。数年ぶりに岡山から3時間シェイク、シェイクされながら出雲に到着しました。

大学は駅の南側。開発が進んだ・・ということですが、田んぼで蛙が大合唱。から揚げ居酒屋(?)や焼肉屋が新たにできていましたが、10年前からあんまり変わっていないような・・ 開発って数軒のレベル。ちょっと話を盛りすぎかも。暗闇でランニング開始。下宿のアパートも残っていました。ここも相変わらず田んぼの中。懐かしく、あちこち見て走っているとホテルのチェックインが23時30分に。

DSC00217        闇に浮かぶ、わが母校

DSC00216      いや母校はこっちかな? 武道場 周囲で蛙が大熱唱

翌日朝から日本海にむけ、ランニング開始。学生時代のランニングコースなので、これも懐かしい。田園、ブドウ畑を走り抜け出雲大社へ。昔の出雲大社は奈良大仏殿(高さ46m)より高かったと伝わる古代の超高層建築です。出雲大社を抜け、国譲り、国引き神話の舞台稲佐の浜へ達すると日本海到達! この日はここで朝ごはんにしました。そば屋がモーニングをやっています。メニューはもちろん出雲そば。蕎麦粉を作る際にそばの実を皮ごと石臼でひくので、戸隠そばなどと比べると色が黒く、香りが強い出雲名物です。腹ごしらえしたら次は松江へ。

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DSC00225         世界遺産石見銀山を抑えて一番人気の出雲大社

DSC00226          稲佐の浜 朝だったのでまだ観光客もまばら

出雲-松江間は30km。これを走ってしまうとタイムオーバーになる危険性大。無理せず松江までは電車移動。松江は宍道湖畔にひらかれた都市で、松江城下の堀川の保存状態も良いので「水の都」の通り名もある優美な町です。松江城は山陰では唯一、天守が残存している城。国宝指定が決まりました。残念ながら下の写真を撮ったところでカメラのバッテリーがきれてしまいました。宍道湖畔、松江城を走りランニングは終了。良い運動になりました。

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        松江城 宍道湖の水を引き込む湖城です

島根は世界遺産の石見銀山、戦国時代の山陰の覇者尼子氏の居城である月山富田城、大量の青銅器が出土した荒神谷遺跡など、実はたくさん名所があるのですが、残念ながら到底1日では回れません。今回はここまでとして、また「やくも」でグラグラ揺られながら帰りました。やっぱり遠い島根県。次来るのはいつかな。

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酒蔵めぐり

天気予報が外れて暑い週末、京都に行ってきました。土曜日は仕事でしたが、日曜(今日)は朝から、フリーです。しかし午後には名古屋の建築現場で会議があり自由時間は3時間。一度行こうと思っていた伏見の酒蔵めぐりに出かけました。

最初は駅から一番遠い大倉記念館(月桂冠)です。DSCF2103DSCF2098DSCF2099道路に沿って古い板張りの工場、蔵が立ち並びその中に記念館の入り口があります。入場料を300円払い、「お土産です」と渡されたのは、純米大吟醸のワンカップ(月桂冠ではこう言わないかもしれませんが)「そういうことか」と納得。資料館の中は、酒飲みのウンチク話のネタがぎっしり。ためになりました。

まずこの地名。「伏見」とは「伏水」(良質な)伏流水があると。DSCF2082わが「上飯田」も田んぼに水が湧くから「井田」。良質ではないのかもしれませんが、地名というものは面白いものです。伏見で酒が作られるようになったのは弥生時代からと。ここの水は他の地より良いとかここの酒の方がうまいとか、そういった情報はどのように集められどのように評価されたのでしょうか。DSCF2086

酒を絞っていない時に、絞り出す口から少しずつ漏れるのを受け止めるちり取りのような形をしている木製器具の名前が「よだれかけ」、ここで思い出したのが、焼酎を蒸留して、最初に口から出てくる酒(焼酎)が「はなたれ」(これは高級品です)垂れてくるからそうなんだけど、生活に密着した名称ですね。DSCF2093

DSCF2102この工場は川べりにあり、ここで船積みされ宇治川を経て淀川を下り、難波から樽廻船などで江戸に運ばれたようです。(ちなみに当時半田も酒どころとして有名だったのですが、馬で運んだため輸送革命に灘、伏見に敗れたとか)

昭和8年にこのようなポスターができていたのです。DSCF2092館内の明かりを消してもらうわけにはいかず、照明が映り込んでしまいました。

登録商標元祖「上げ底」 DSCF2091薦被りの酒がこのような上げ底とは知りませんでした。4斗入りと決まっているのですから、何か意味があってのこの形状かもしれませんね。

ほんの少々でしたが、試飲をさせていただきました。甘いけど大変おいしく、市販の月桂冠とは明らかに違います。DSCF2115

こちらは道の両側とも黄桜。

この記念館は無料でしたが、DSCF2118

 

河童の資料館でした。DSCF2116ここは試飲はありませんでした。

有名な寺田屋。伏見にありました。DSCF2108DSCF2120この地には土佐藩の藩邸があったのですね。今はなぜか月桂冠の社員寮。

商魂たくましく商店街の名前は「竜馬通り」DSCF2111DSCF2112でも自転車屋さんやら八百屋さんやら。観光客を呼ぶには今一つ。

不思議なものを見ました。DSCF2124そば屋の2階が大学。

伏見では歯医者さんも「和風」DSCF2122診療所にはついつい目が行ってしまいます。

桃山御陵から近鉄線で京都駅に戻り、私のプチ観光旅行は終わりました。

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季節を告げる

通勤途上、あじさいの花を見つけました。実はそろそろかなと少し遠回りをし、見に行きました。写真も撮りましたが今日は遅刻はしませんでした。

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この数日は、少し暑いけど、からりと晴れて、日陰では快適でした。明日から天気は下り坂、雨の季節はもうすぐです。

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くじゃくさぼてん

例年4月5月のゴールデンウィークに開花するクジャクサボテンが今年は2週間遅れで咲きました。DSCF2065

つぼみのつきも遅かったので、心配していましたが4月の下旬からぽつぽつ花芽が出始め、つぼみの数を数えて楽しみにしていました。DSCF2051

花は大人の手のひらをいっぱいに伸ばしたよりも大きく、それぞれ勝手な方に向かって行儀悪く咲きます。咲くのは年に一度だけ、豪華絢爛ですが、花は1日しか持ちません。DSCF2057

はかなさで有名な月下美人は純白ですが、花の形はほぼ同じです。残念ながら月下美人のように芳香はありません。

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