今週末は日本泌尿器科学会の総会でした。
土曜の診療終了後、開催地の仙台へ。
最新の知見に基づく医療を継続していくためには、知識のアップデートが欠かせません。集中的に知識を共有できる学会は便利な手段でもあります。
会場のすぐ隣が仙台城。勉強の合間に喜び勇んで探索です。
仙台城は伊達政宗が整備した本拠。
仙台という地名も政宗によるもの。もともとの地名は千代でしたが、仙人の住む丘を意味する仙台へと改称しました。
青葉山の東端(標高140m)に築かれた平山城。本丸は国内最大級。
遺構のほとんどが近代に失われていますが、高石垣や大手門脇櫓などが修復・再現されています。探索してまわると三方を断崖や渓谷に囲まれており、この城が天然の要害であることが良く分かります。学会仕様のスーツ+革靴は全く史跡探索には向きませんが、こればっかりは仕方がありません。すっかりスーツが汗だく・・・
大手門脇櫓。仙台城のシンボルです。
城下を見渡す伊達政宗の騎馬像
三の丸跡の伊達政宗の胸像。
天然痘で右眼を失明し、後世独眼竜と呼ばれるようになり眼帯姿でも描かれることの多い伊達政宗ですが、本人は生涯隻眼であることを苦にしており、その意向をうけて制作された当時の肖像や木像は双眼で作られています。仙台市博物館所蔵の伊達政宗像(仙台城にかかげられていた)も双眼。
武人としての印象の強い政宗ですが詩人としての側面もあり、「酔余口号」という漢詩は有名です。
馬上少年過 世平白髪多 残躯天所赦 不楽是如何
(馬上に少年は過ぎ、世は平らかにして白髪多し、残躯は天の赦すところ、楽しまずんばこれ如何)。因みに4句目の読み方は諸説あり、読み方により意味合いが変わってきます。司馬遼太郎の小説「馬上少年過ぐ」の表題はこの漢詩よりとられています。戦国に遅れて出てきた奥州の覇者の「無念」を読み取る人、逆に「自足」を読み取る人。昔より色々な読み方をされてきた漢詩です。
因みに辞世の句は「曇りなき 心の月を さきたてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く」 先の読めない戦乱の世を、自分が信じるままに進み、生き延びた政宗らしい句です。
地域医療もまた、信念をもってすすんでいきたいものです。