日本における泌尿器科学の歴史というと、公式には明治30年代初頭のドイツより皮膚科学と共にもたらされた・・となるわけですが、江戸時代にすでに陰茎切断術(梅毒)、陰嚢水腫手術、子宮脱、膣膀胱瘻などなど、多彩な泌尿器科手術を行っていた外科医がいます。
花岡青洲です。
もちろん有名なのは、実証されているものとしては世界で初めて全身麻酔を用いた外科手術(乳癌手術)を成功させたこと。残っている肖像画を見ると、家紋が外科結び!
世間で一般に知られるようになったのは、有吉佐和子の「花岡青洲の妻」がベストセラーになってからでしょうか。小説のテーマは嫁姑問題で、両者の確執が描かれていますが、肝心の青洲にはあまりスポットライトはあたっていないような。まぁ題も花岡青洲の妻ですしね。
青洲はチョウセンアサガオ、トリカブトを主成分とした薬草に麻酔効果があることを発見。動物実験と人体実験(治験というべきかもしれませんが)のすえに全身麻酔薬(通仙散)を完成させます。小説では母、妻が実験に参加し、妻は失明し・・となるわけですが、史実では実験に参加したかどうかも不明確みたい。記録に残っている範囲では、乳癌手術患者は152名にも及びます。術後生存期間が判明するものだけを集計すると、術後生存期間は3年7カ月となるそうです(最短8日、最長41年)。
今の基準では成績が悪いように見えますが、当時は早期発見はありませんし、世界の状況をみても決して悪くありません。
例えば19世紀後半を代表するドイツの外科医ビルロート(胃癌手術を初めて成功させた)でも手術後の再発率は80%、3年生存は4~7%程度だったと伝わります。なおビルロートの名前はビルロートⅠ法、Ⅱ法と現代でも胃癌の術式に名が残っています。
乳癌の根治術が確立するのは19世紀末、全身麻酔や無菌手術が普及し、アメリカのハルステッドが大胸筋や腋下リンパ節も含めて一括切除する術式を確立してから。拡大切除ができるようになって再発率が6%まで低下しました。
花岡青洲の画期的な麻酔薬「通仙散」は秘伝とされたので、正確な調合などの記録は残っていません。毒性が高く、取扱いの難しい薬だったようです。
通仙散は残っていませんが、花岡青洲の開発した十味排毒湯、中黄膏、紫雲膏は現代でも使用されています。個人的には処方したことのない薬ばかりですが、紫雲膏の材料紫根は「痔にーは~」のCMで有名な「ボラギノール」の成分だったというとイメージがわくでしょうか。
やはり麻酔薬と乳癌手術のインパクトの大きい花岡青洲。記録に残る日本で最初の泌尿器外科医であると認知される日はやっぱり来ないかな。