医神の時代

病気や負傷に対する治療は人類の文明の発生とともに始まりましたが、古代における医療は薬草などと共に、祈祷やまじないなども重要な役割を果たしたと考えられています。世界中で多くの医の神様「医神」が生み出されました。古代ギリシアのアスクレピオス、古代中国の神農などなど。なおアクスレピオス像の多くは蛇の巻きついた杖を持っていますが、蛇の像は以後医学のモチーフとして使われるようになります。ちなみに日本医師会のロゴはヘビです。

日本で医の神様というと、大国主命(オオクニヌシノミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)が代表的でしょうか。オオクニヌシは出雲大社の祭神。鮫をだました白兎が毛をむしられ海水につけられて苦しんでいるのを見て、白兎を真水で洗い蒲(ガマ)の穂の上に寝かして治したという「因幡の白兎」伝説も良く知られていますね。ガマは古くから収斂止血や火傷に対する薬草として利用された植物です。

       出雲大社の裏では白兎が大社を見つめています

一方、スクナヒコはオオクニヌシといつも一緒に行動する小人神。「古事記」、「日本書記」でも活躍する出雲神話の人気者です。

ある日オオクニヌシが出雲の海岸でブラブラしていると、ガガイモの船にのった小人が波間から登場。この小さな神がスクナヒコです。一寸法師のルーツとも言われる存在です。オオクニヌシとスクナヒコは兄弟の契りを結び、一緒に国造りのため全国大巡業にのりだします。薬学や防虫の技術を広め、松山では道後温泉を開発したことになっています。「伊予風土記」では長旅で病となったスクナヒコをオオクニヌシが道後温泉に入れて快復させた記載があり、道後温泉ではこの2神を湯神社に祭っています。治療としての湯治の歴史も古いですね。小さな神が国造りという大きなことを成し遂げるスケールのギャップが人気の秘訣でしょうか。

このコンビの道中はにぎやかで、「播磨風土記」では有名な我慢比べの話がのっています。出雲神話の中でも個人的には好きなエピソード。

旅の途中で、粘土を担いでいくのと、便を我慢するのはどっちが辛いかで口論になった2人。スクナヒコは粘土を担ぐことになり、オオクニヌシは便を我慢することになります。この変な意地の張り合いは数日続きますが、播磨に達した時オオクニヌシはついに「もうだめだ我慢できない!」と叫びだし、その場でしゃがんで便を漏らしてしまいます。スクナヒコは笑って「自分も辛くて」と粘土を投げ出してしまいます。一応、肥料(便)と土のことを暗喩しているらしいですが、神々のすべき高尚な議論といえる・・かな?

スクナヒコは国造りの事業半ばで、粟の茎にはじき飛ばされて常世の国(古代海の彼方にあると信じられていた不老不死の国)に帰っていってしまいます。残ったオオクニヌシも勃興する天高原系の神々(大和朝廷)に圧迫され、ついに国を奪われてしまいます(国譲り)。出雲は敗者の歴史と記憶が眠る場でもあります。

医のあけぼのについて書き始めたつもりが大脱線・・ それはまた次の機会で。

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