こんにちは。名誉院長です。
いつのまにか秋が通り過ぎ、暦の上では冬になってしまいました。
しかしこのところぽかぽかと暖かく「小春日和」が続いています。
庭に出てみると、陽だまりに「てっせん」がたくさん咲いています。
3年前のブログに紹介した、「やゑさんの菊」。
だんだん小さくなってしまったけれども、今年もたくさん咲きました。
みんな行く秋を惜しんでいるようです。
でも、つばきは春に備え蕾をたくさんつけています。
名誉院長です
創業が江戸時代という尾張の小さな古い酒蔵の「蔵開き」に行ってきました。
蔵に入ると、好みのぐい呑みを一つ選んで、いきなり試飲の始まりです。大変香りもよくおいしい酒です。「これは辛口だ」「うん、ガツンと来るね」だとかなんとか。つまみも用意されていて「・・・・・・」(言うことなし)
やがて、酒蔵の社長さんの酒とか蔵の説明が始まりした。本来は社長さんの説明の後、「試飲会」だそうです。ぐい飲みを握りしめて、お話を伺います。蔵は江戸時代のもので、薄暗く、むき出しの梁や柱にはこの蔵の主のような酵母がたくさん住んでいて、ここで作られる酒の味の特徴が決まってくるのだそうです。
以前、伏見で「酒蔵めぐり」をしたことがあります。「昔の酒造り」の資料館にあった道具がここではそのまま使われているような気がします。タンクは金属でしたが。
社長さんのお話が終わると、もう一度、今度は本当の試飲会です
ほろ酔い気分で外の風に吹かれようと、蔵の中庭に出ると、造りのりっぱな母屋。
倒れそうな小屋
また蔵に戻って第三次試飲大会に突入。つまみは地元でとれて、酒蔵の奥さんが炊いた小魚の甘露煮。私には懐かしい「おふくろの味」でした。私の祖母はこの付近の出身です。
おばあさんが石油ストーブの上で作っている、濃厚な甘酒もいただきました。
家族でやっている、手作り感いっぱいの親しみある酒蔵開きでした。
そしておいしいお酒でした。
冬の淡い夕陽を浴びながら、背の重い荷物を楽しみに、心も体も暖まって帰途につきました。
お土産は皆が喜びそうな生原酒の濁り酒。私はこのために大き目のリュックを背負って行きました。
そして孫たちには、甘酒用の酒かす・・これは親から止められるかもしれませんね。
名誉院長です。
師走も半ばまで来てしまいました。週末に名古屋駅前で会合があり、ひさびさに街の様子を見ようと地上を歩いてみました。
急に寒くなってきて、行き交う人々は厳重な冬装束。ダウンコートのおじさん、ぐるぐる巻きマフラーの女子高生、サンタクロースの衣装でしょうか赤と白の服をバッグからのぞかせているOL。寒いせいか、気がせくのか、都会の若者は足が速いのか、みなさんサカサカ私を追い抜いていくか、面倒くさそうに体をかわしてすれ違っていきます。
その中で、決して日当たりがいいわけではないビルの北側に、桜の木が北風に身を震わせながら花をつけていました。
初春に梅が一輪咲いているのを見ると、嬉しくて、嬉しくて、写真を何枚も撮ったり、みんなに知らせたり・・・。そしてあくる日も見に行ったり。心の中は寒さの中で咲いた花に対する感謝といたわりの心でいっぱい。
師走の桜。健気なその姿に若干の驚きはありますが何故か心は踊りません。「もっと暖かいときに咲けばよいのに・・・」撮った写真は1枚だけ。
自分の勝手な都合だけで、こんな大きな落差。申し訳ない。
少し過ぎましたが、11月23日は勤労感謝の日でした。
たまに顔を出す名誉院長です。
2年前の勤労感謝の日に長い日月を一緒に送ってきた左下大臼歯の大往生を報告しました。そして今年の勤労感謝の日には右上の小臼歯が引退しました。私の管理が悪く・・・ご苦労様でした。この間に1本減らしていますから、年に1本ずつ減っていきます。歯医者さんは80歳で20本残すようにと言われますが、とても到達できそうにありません。
髪の毛が抜けるのも困りますが、歯が抜けるのはもっと困ります。
歯も髪の毛も(そして人生も)残ったところを慈しみ、大切にしていきたいと思います。
3月末に体調を崩し、最近になってやっと復調しました。忙しかったこともあり、楽しみにしていた花見には行けず、ソメイヨシノはいつの間にか八重桜にとって代わり、通りには白やピンクのハナミズキか咲き、ツツジも開花しています。
今朝はご近所の庭にフジの花房が垂れ下がっているのを見つけました。
まさに春爛漫です。
今日はツツジの写真を撮ることができました。これからは外出にカメラは離せません。
今年の初めに蝋梅の紹介をしましたが、採った実を5個、植木鉢にばらまいておきました。
数日前、1個だけですが発芽しているのを見つけました。あの香しい花を付けるのはいつになるでしょうか
熊本、大分で大きな地震が続いています。亡くなられた方々の冥福をお祈りいたします。また、被災され負傷された方、避難生活を余儀なくされている方々のご苦労は大変なものでしょう、早く通常の生活に戻れると良いですね。
東北の震災の時もそうでしたが、大災害が起こると必ず思い出すことがあります。
私が小学校の低学年の時、東海地方を大きな台風が襲いました。「伊勢湾台風」です。
当時名古屋の南部に住んでいて、高潮が海から流入し、近くの川も決壊、平屋だった私の家は軒下まで浸水し、貯木場から流出した家程もある大きな巨木が、人々を襲い、家々を破壊し、近隣でおびただしい死者がでて、同じ小学校の児童も30人以上が亡くなりました。
もう56年も経っているのに、いまだに「昭和34年」とか「9月26日」という言葉が心の奥底に響きます。土曜日でした。あの時のことは今でも克明に覚えています。
私は雨降りに敏感で、特に夜間降る雨には、不安を伴う何か表現しがたい感覚におそわれていました。就寝後でも、雨が降り始めるとほとんどの場合覚醒してしまいます。10年ほど前、それが「伊勢湾台風」のPTSDであることに気づきました。表現しがたい感覚とは、「恐怖」だったのです。それに気づいてからは、夜間の雨には気づかなくなりました。「心の傷」の深さ、不思議さに驚きます。
被災した私たちは父の知人の家に数か月間、身を寄せました。そこでは、その家の奥さん、おばあさん、お姉さんたちが優しく接してくれました。今から思えば随分甘やかされていましたが、自分では新しい兄弟ができたような感覚でした。また、近隣の小学校にも通いましたが、そこでもみなさんが優しかったのも覚えています。
九州で被災された方々の心の傷は私と同様なかなか癒えることなないかもしれませんが、周囲が暖かくしてあげることが大切だと思います。
半年を機に
開院したのが昨年の10月1日。ちょうど半年が経ちました。おかげさまで、何とか続けてこられています。その間に診察に来られた患者さんは1000人を超え、地域での認識が進んでいるようでありがたいことです。
当初、右往左往していたスタッフもだんだん慣れてきて、クリニックの状況はやや落ち着いてきました。
そこで、開院半年を機に名古屋市や福祉協議会とも相談し、地域の皆さんのコミュニケーションの場を提供することにしました。これは、開院前からの「地域に役立つ」という私たちの思いを具体化しようとするものです。
憩いの場「なごみ」と名付けたこのサロンは「ちょっと聞いて欲しい」とか「誰かとお話ししたいな・・」「介護に疲れてしまった・・」などという時に、ふらりと来ていただいて、お茶しながら、気楽におしゃべりをしていただく場です。私や心理カウンセラーがお付き合いさせていただきます。時には健康に関するレクチャーもさせていただこうかと考えています。
クリニックの相談室を利用して、毎週月曜の診療の合間(14時から15時30分)という限られた時間ですが、地域の皆さんのお役に立てれば幸いです。
ご近所の方は、遠くの方もかまいません、どうぞ気楽にお越しください。
(参加費はお茶代として300円です。お問い合わせは上飯田泌尿器科内科クリニック 052-325-2411 ニョウイイまで。)