手前味噌

先日のことですが中学時代の仲間と矢場地蔵にある飲食店で会合(飲み会)があり、やや早く到着したので、会場へは遠回りして、久々に大須の街を歩きました。矢場地蔵は大須商店街のはずれにあります。大須の街は土曜日だったせいか、多くの若い人、外国人が行き交い、大変なにぎわいでした。

私は地元大須小学校の出身で、学校が終わった後、当時あまり人通りがないこのアーケード街をぱたぱた、ぱたぱたと友達と走り回っていました。私が育った時代は、高度成長期と呼ばれる、名古屋の郊外発展の時期で、名古屋市に緑区や守山区ができて、ドーナッツ化現象という言葉が作り出されていました。中心部の人口が減り、住宅や人は郊外にどんどん移っていきました。郊外からの買い物客は市電や市バスに乗って松坂屋、オリエンタル中村(今の三越)、丸栄(当時の三大デパート)がある栄町(さかえまち)周辺のみに集まり、わざわざ大須まで足を延ばす人は少なくなっていました。

全国的にもアーケード商店街がそのままシャッター商店街になってしまう社会現象の中、大須の町は、その流れを断ち切りうまく立ち直ってくれています。DSC00048

にぎやかな商店街の中を、観光客のようにきょろきょろあちこち見てまわりました。小学生のころ書初めを奉納した(させられた)神社、古くからあるお店、新しいお店、私には何を売っているのかわからないお店・・などなど大変刺激的でした。名古屋なので、味噌を売りにしている食べ物屋さんが目につきました。

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「味噌から揚げ」なる大ちょうちんをぶら下げているお店がありました。名古屋ですから八丁みそ味なんだろうけど・・・。想像つきません。

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次は当地限定「赤みそカレー」想像できないことはないけど・・。DSC00051

そして全国区、矢場とん「味噌カツ」これはわかります。でも矢場とんの看板は50年前よりずいぶん洗練されています。看板の豚さんがきれいで、品がよくなりました。私の記憶では50年前の看板は現在の位置よりもう少し赤門通り寄りの路地裏にあって、ペンキの剥げた、下品な豚さんが狭い道路に今にも落ちそうにせり出していました。

矢場地蔵に到着しましたが、私の通学路から100mほどなのに全く覚えがありません。50年前にはなかったのではないかとも思いましたが、由緒を聞くと元禄時代からあったとのこと、失礼しました。 会の中で仲間に聞くと、当時ここは地下鉄南北線(現在名城線)の工事で掘り返していたり、重機置き場になっていて近寄ることができなかったとのことでした。DSC00054

飲み会は開店から閉店まで続き、昔の中学生たちは夜の更けるのも忘れて、よもやま話に花を咲かせていました。

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