上飯田の地 ①

3月11日

上飯田があれば下飯田がありそうです。ありました。御成通りの西側、上飯田からは南西方向、名古屋城の方向です。城を中心に考えると上下(かみしも)反対のように思えますが、別の理由があるのでしょうね。このあたりは昔は農村で、近くを流れる矢田川の伏流水が田から湧き出て(井)、井田と呼ばれ飯田の字があてられたようです。大正時代に紡績工場などが進出し、工業地帯を形成し、現在はその工場跡が大規模住宅団地(公団住宅、尾上団地、市営住宅)や小学校・中学校になったとのことです。クリニック予定地は木材工場の跡地で、瀬戸から水運で運ばれてきた陶器類を、輸出のために箱詰めする、その木箱を作っていたとのことです。敷地をよく見ますと、陶器の色とりどりの破片が多数みられます。土地利用の変遷から、時代の流れを感じます。

DSC_0228今日、工事が始まりました

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