基礎工事と医療不信

4月15日

コンクリート製の基礎に下向きの切欠きがあり、端が宙に浮いています。基礎は土台が乗る重要なところ。「?」設計士さんに疑問を投げると、早速現場で設計士さんと現場監督さんとで説明していただけました。レントゲン装置に電源、信号などを送る太い電線の束の床下の通り道で、「そこには力がかからないから大丈夫です」との返事。素人が生半可に建築中のものを見るからそうなるわけですが、素朴な疑問でも聞かなければ分からないし、納得ができません。雨の夕暮れにつき合わせてしまい申し訳ありませんでした。DSC00023

実は、私たちの仕事について言うと、患者さんにはもっと疑問があるだろうし、不安も大きいと思います。いちいち説明できていないので、恐らく患者さんは納得できていません。しかし医療者側の立場からすると、治療を開始すると患者さんの反応は千差万別です。あらかじめ説明していたらきりがないし、仕事にならない。特に手術などは、手術前に手術部位のスケッチが書けるくらいに手術野を予測して、開始するわけですが、細かいところは状況に応じて変化していきます。それをあらかじめ患者さんに説明することは不可能です。

しかし「きりがない」ということで、そのまま行えば、患者さんの疑問は医療不信につながり、不信感は基礎の切欠きのように埋没したままになります。そして、関係なく些細な合併症が起こっても、それは「医療ミスだったのではないか」と思われてしまいます。手術などを含めた治療は期待通りの結果が出ないことは少なからずありますし、悪くなってしまうことだってあります。医療は不確定であり、治療の結果の保証はないことの、国民のコンセンサスがないのに、治療を行う、あるいは行わなければならない医療というものの状況が、患者さんや医療者を余計に苦しめている原因のような気がしてなりません。

不思議の国

なお雨が降り続けます。これは一層読書に励めということなのでしょう。今日とりあげるのは不思議の国のアリス(Alice’s Adventures in Wonderland  1856年 ルイスキャロル)。大学生時代に買った本なのでボロボロです。手垢がつくまで読み込んだためではなく保存状態が悪いというのが原因ですが。

知人の少女(アリス・リデル)のために即興で聞かせた物語がもとになっています。昨日とりあげたプーさんと似てますね。ただしプーさんの方のクリストファー・ロビンは作品で世界一有名となってしまったが故に現実世界では重荷を負って苦しんだことで有名ですが、アリスの方はそんなエピソードはなかったかな。

この作品、高校生の時に訳本を読んだのですが、読後感想は「?」 もう1回読み返したが「??」

その日の授業をまるまるつぶして、読んだのですがよく分からない。あらすじは脈絡がなく、会話もデタラメ。これは名作なのか?と。乱読時代で、作者も作品も何の知識もないまま活字であれば片っ端から読み流していた頃なので、その時は釈然としないまま終わってしまいました。

大学生になってこの作品がナンセンス文学の代表作で、翻訳者泣かせの本と知り、大学生になったのだからとペーパーバックで再挑戦! ところが英語で読んでも、やっぱり背景知識が分からないので、どこが面白いのか分からない。解説書を買い足してみたび挑戦した、そういった思い入れのある作品です。そんなにしてまで児童文学を読まなくてもとは思いますが・・  発掘された解説書の方もボロボロ。保存状態悪いです。明治時代の文書だと言っても信じてもらえるかな。

この作品の意義は、それまで英国の児童文学は教訓物語しかなかったのを打破したことにあります。当時みんなが知っていた教訓詩を言葉遊びのデタラメなものに変えたり、もはや意味さえ通らないものまであります。あらすじを追う物語ではないので起→転→転→転→結 といった感じ。読者は題名通り、不思議の国にドップリ入り込み、アリスと一緒に幻想世界に遊ぶことになります。

久しぶりに読んでみようと、寝転がって読み始めましたが・・wonderlandへ・・ 今朝のめざめは爽快でした。

外を見ると一旦雨が上がったみたい。そろそろ太陽も恋しいですね。

読書三昧

まだまだ雨が続きます。こうなるとランニングなどに出るわけにもいかず、夜はダンボールより発掘した本たちをめくることになります。全部読んだことがあるものなわけですが、これが結構楽しい。あっという間に時間が過ぎます。

昨夜久しぶりに再会したのは「Winnie-the-Pooh」・・・って書くと良く分からなってしまいますが要するに「くまのプーさん」です。ディズニーでも有名で・・と言いたいのですが、ディズニーの作品の方は全く知らないので、1926年に発表されたAAミルンの、こちらの児童小説の方しか分かりません。英文と言っても児童向けの読み聞かせ本なので難しくはありません。この作品、自分の子供(クリストファー・ロビン)のために作ったもので、物語中のほとんどのキャラクターは、クリストファー・ロビンが持っていたぬいぐるみ。広大な森の中での楽しいな日々、あっという間に過ぎゆく子供だけの世界を描いています。挿絵(EHシェパード)もかわいらしい。

「風船につかまってはちみつをとろうとする」「はちみつ食べ過ぎでウサギの穴から出られなくなる」など無邪気な日常が描かれますが、この作品の続編(The House at Pooh Corner)の最後の方は子供向けとばかりは言えない内容です。クリストファーは成長し、その第1歩として小学校に行くことになる。もう何もしないでプーさんと遊んで暮らす日々を卒業としないといけない。プーさんは空想上の友達、魔法の森は幼児期の心象を象徴したものというわけです。別れが近づいてきたことを感じた森の仲間(ぬいぐるみ)達は別れの手紙を手渡し、それを読んでいる間に次々立ち去っていく・・ 幼児期の儚さを切り取ったあたりも80年以上過ぎても、なおこの作品が愛される要因でしょうか。

徹夜して出勤するのは社会人失格なので、夜更かしタイマーかけて読書。大人になるとは不便なものです。読書できるのはうれしいけど、そろそろ雨やまないかな。

掘り出しもの

「春はあけぼの」は清少納言の「枕草子」ですが、ほとんど朝日を拝めない雨の日が続きます。

まだ風邪が治りきっていなかったので、週末はおとなしく部屋で整理整頓(結局我慢しきれず夕に外出してしまいましたが)。段ボールをあけると思わぬ掘り出しものがでてきます。歴史書、小説、児童文学、料理の本、空手の型の教本などなど・・医学書ももちろん混じってはいますが。なかには医者になる前からある古株も。学生時代、定期テスト前夜に少し読むだけのはずだったのに、全部読み切ってしまい鳥がチュンチュンなく声で、夜が明けてしまったことに気づいて真っ青になったことなど失敗も思い出します(司馬遼太郎の「燃えよ剣」でした)。

うれしくなって、色々ひっぱりだして眺めていると整理整頓するはずが、すぐに床一面本だらけで踏みどころがなくなってしまいました。

そんな中に兼好法師の「徒然草」があるのを見つけました。「徒然草」と言えば「枕草子」とならぶ日本三大随筆の一つ。もう一つは鴨長明の「方丈記」。冒頭文が美しい。でも方丈記は通しでは読んだことがないな。教科書、受験勉強で読んだくらい。

徒然草は世俗への辛辣な批判や、住居論、笑い話、死生観のような話まであり多様。方丈記同様、無常観がベースになっていますが、こちらは悲壮感は感じられず、むしろそれを楽しんでいる様子もうかがわれます。その人生を楽しんでいるところ、筆者の独断と偏見を小気味よく押し通していくあたりが個人的には結構好きな古典です。私もつれづれなるままに、思うことを書き連ねているわけですが、名文と呼ばれる文章はやはりリズムが良いですね・・ 久しぶりに読み返して、そう感じました。

こうして楽しく週末が過ぎていきましたが、部屋はちらかり放題。

まぁ整頓は引っ越しまであきらめましょうか。

建築現場

4月12日

二日酔いにもならず無事帰ってきました。

工事現場に立ち寄ってみました。DSC00020一見あまり変わっていないように見えましたが、よく見ると敷地周囲3方向にコンクリートブロックによる擁壁ができていました。敷地を少しだけ盛って建屋そのものを少し持ち上げる計画です。

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今日は上々

4月11日

やっと良い天気になりました。「つつじ」はもういくつも咲いていて、つぼみもずいぶん開いてきていました。風はありますが暖かくなりそうです。今日は、気の合った遊び仲間と朝までじっくり飲み会です。私の仕事が終わるのを待って片道20キロをお迎えに来てくれるとのことです。ありがたいことです。では今日はこれにて失礼します。

春は来ています

4月10日

桜も散ったのに今日も寒い朝でした。その上さらに少々事情があって、自分でしたことながら、大変不機嫌に、いつも通らない道を通って出勤しました。

事情というのは、昨夜ある講演会に出席しました。講演会場入り口付近に郵便ポストがあり、郵便物を投函するために、忘れないようにわざわざ手に持って出たのですが、あろうことか、手に持ったまま会場に入ってしまい、恥ずかしくてあわててポケットに仕舞ってしまいました。講演会が終わって、帰り道、ポスト前を通ったのですが・・通過。そのまま帰宅し、ポケットの中の郵便物を発見し愕然としました。それで、今朝は内心腐りながら遠回りしてポストに寄って、無事投函したということです。

ポスト近くの、とあるビルの花壇に、ピンクの花が揺れています。「つつじ」です。日差しもなく、冷たい風に吹かれていても、それでも健気に季節を告げているのです。春は来ているのです。物忘れも悪いことばかりではありません。うれしくて何枚も何枚も写真を撮っていて・・・・・・・今朝は遅刻しました。P1000051P1000050

戦国時代の健康マニア

インターネットが普及し、様々な健康情報が溢れています。科学的な情報もあれば、怪しげなものも随分混じっています。

昨日の豊臣秀頼がメタボの代表とすると、その相手の徳川家康は「健康マニア」と言っていいほど養生に励んだ人物として有名です。秀頼と対決する頃には太ってきてはいますが。

運動を健康法としても認識した先駆者の1人でもあります。徳川実記(江戸幕府の公式文書)には、刀の修練、乗馬、水泳に励む様子や、晩年頻繁に行った鷹狩などは朝早起きして運動するので、朝食もおいしく、夜もぐっすり眠れるので良薬にまさる養生と述べた様子が記されています。淋菌・梅毒を避けるため遊女を近づけない、タバコを吸わない、生水を飲まないなど、その知識は現代でも通じるほど科学的です。

家康は薬にも興味をもち、みずから多くの薬を調合しています。当人が用いた薬種と製薬道具の目録が「駿府御分物御道具帳」(全11冊!)に載っていますが、用いた薬種は、麝香、龍脳、人参、蜂蜜、犀角、大黄、甘草、没薬、麻黄、附子、肉桂など160種にも及びます。

もっとも医学知識に自信があるゆえに、患者としては医師泣かせ。晩年の鯛の天ぷらにあたって・・というエピソードは有名ですが、この際も自身で寸白(サナダ虫)と診断し、自身で調合した薬を内服し続け、医師のすすめる薬は飲もうとせず。

最後は怒って医師を流罪にしてしまいます。発症から亡くなるまで3カ月かかっていること、体重減少傾向があったこと、医師が腹部腫瘤をふれたこと、吐血と黒色便があったことが記録されており、死因は食中毒ではなく胃癌ではないかともされています。

健康維持は現代でも生活習慣の改善から。「これだけ飲めば大丈夫!」のような魔法の薬はありません。

和食でもメタボ

春は健診のシーズン。

肥満、高脂血症などを指摘され、来院される患者さんもいます。

まずは食事や運動など生活習慣の改善指導が行われます。

ユネスコ無形文化遺産に登録された和食は、栄養バランスのとれたヘルシーな食事として知られています。「昔の日本にはメタボなどの問題はなかった」と言いたいところですが、やはり摂取量が多く、運動量が少なければ当然メタボになります。

映画やドラマでは華奢に描かれることが多い、豊臣秀頼などは立派な肥満の一人です。残っている記録では身長6尺5寸(約197cm)、体重43貫(約160kg)とも伝わっており、規格外の巨漢だったことが分かります。成人後、二条城で徳川家康と会見した際、家康がその「成長」の脅威を感じたというのも無理もないですね。

教科書などで有名な肖像画は養源院(京都)に伝わるものですが、これは直衣姿で少年期のもの。ほっそりした優男です。青年期の肖像画も実はあり、東京芸術大学附属芸術資料館に伝わっています。こちらは束帯姿で立派な体格、顔もパンパンです。まぁ大巨漢が大坂城内を逃げ惑うでは悲劇の大坂夏の陣のイメージにはそぐわないでしょうか。

肥満、高脂血症の改善のためには、食事の内容と量、そして適度な運動がかかせません。

三寒四温

今日は冬に戻ったかのような1日。関東では雪も降ったようです。

しまいかけだった冬物コートも再登場で出勤しました。つい「三寒四温」という表現を思い浮かべ、春が寒暖差の大きい時期であることを実感します。

実はこの表現、もともとは日本の気候を説明したものではありません。本来は冬の中国東北部や朝鮮半島北部の気候を表す表現(シベリア高気圧からの寒気が7日周期で強まったり、弱まったりする)でしたが、日本の冬にはこのような現象がないので、次第に寒暖の大きな春に使われるように変わっていったようです。

とはいっても、もっぱら早春に使われる表現。桜に青葉が混じる今の時期にこの言葉が思い浮かぶようでは、やはり特別に寒いのでしょう。

今日の外来でも、風邪をひいたと訪れる患者さんが結構来院されました。体温調節のできる服装、外出後の手洗い・うがい、十分な休養に注意が必要です。