日付かわってしまいましたが、4/24 夕の建築現場です。壁も徐々にできてきています。雨が続いていましたが、今週は幸い晴天続きでした。
来週も落ち着いていますように。
4月23日
今日も快晴。クリニックの方も工事が進み、柱、梁、屋根、壁などができてくると図面で見ていた時よりも建物が大きく感じられます。
1日で柱、梁が立ち上がったのを見て墨俣一夜城の話を思い浮かべました。
桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った織田信長が美濃攻略に乗り出す拠点として、墨俣に出城を築くことを重臣達に命じるが、斎藤龍興からの妨害でうまくいかない。新参者、木下藤吉郎(豊臣秀吉)が名乗りをあげ即興の築城に成功した・・・
「墨俣一夜城」のエピソードは太閤の出世物語には欠かせません。
あまりにも有名なこの話ですが、史実かどうかは議論の的。信長関連の資料として信頼の高い「信長公記」には一夜城の記述はありません。墨俣一夜城の記述は前野家に伝わる文書「武功夜話」(17世紀前半に成立?偽書説も)が元ネタ。それによれば墨俣に侵攻した秀吉の総兵力は2140人。信長から借り受けた兵は鉄砲隊の75人。1万数千本の材木を木曽川へ流し、安全な場所で築城用に加工して現場で組み立てた。戦国版プレハブ工法です。斉藤家の攻撃を馬防柵でしのぎながら3日間で城を造ったとされています。
現在 岐阜県大垣市墨俣町には、1991年につくられた墨俣一夜城(墨俣歴史資料館)がありますが、これには大垣城を参考にした天守(!)があります。さすがに現代でもこれを3日で建てるのは無理。馬防柵、櫓、小屋からなる砦だったというのが現実的でしょうか。
久しぶりの晴天続き。こちらの「築城」も無事進むことを祈ります。
4月19日
我が家の庭の「牡丹」が咲き誇っています。その数、8個。先週の日曜に、豊橋のよそのお庭に咲いているのを見ましたから、1週間遅れです。鉢植えでいただいたものを、庭の片隅に移し根付いたもので、だんだん大きくなり、年々花の数が増えていきます。毎年蕾のうちから花の数を数え、今年は12個咲く予定です。その大きな華やかな花には風格があり、この季節の楽しみの一つです。
昨年のこの時期に長谷寺へ行きました。境内にいろいろな色の牡丹が7000株も植えてあり、壮観でした。黄色の牡丹も初めて見ました。幸いにも天気が悪く、日曜というのに境内も駐車場もガラ空きで、普段は混んでいるのでしょう「立ち止まらないでください」という看板の前をゆっくりと鑑賞することができました。遠いところですが、出かける価値はあると思います。
火坂雅史さんの「真田三代」を古本屋で見かけました。
昨年の夏の休暇で真田家の上田城跡を訪れたこと、作者が今年2月に逝去されたと報道されていたことなども思い出し購入し読み始めました。火坂作品のうち「天地人」はNHKの大河ドラマの原作にもなっています。
そういえば来年の大河ドラマは「真田丸」となったはず。真田信繁(真田幸村)が主人公となりますね。なお幸村という名は軍記物や講談で一般的になった名で、本人は信繁と名乗っています。もっとも江戸期、あまりにも「幸村」の名が有名になったので、松代藩(兄信之の子孫)の正史でも幸村の名を採用しています。
「幸村」なのか「信繁」なのかは江戸幕府も興味をもったようで、死後200年たってから松代藩にわざわざ確認しています。結論としては「信繁」と考えているが、大坂城入場後に「幸村」と名乗ったという返答だったようですが。
青年のイメージをもたれることも多い幸村ですが、大阪夏の陣で戦ったときには49歳。過酷な九度山での配流生活のためか、歯も抜け、白髪の状態だったようです。ただし大坂夏の陣 天王寺の戦いで家康めがけて突撃を敢行し、15000の大軍を突破し本陣に突入、徳川勢を総崩れにしたのは史実。逃走する家康は自害を覚悟したとも伝わります。
「真田三代」は読み始めたばかりで夏の陣はまだまだ。大河ドラマの方はどう描かれるのでしょう。個人的には夏の陣ではやはり197cm 160kg の大巨人、リアル秀頼が一番見たいのですが。当時のスペイン人の宣教師には「動くのもままならない」とまで書かれている方なのでアクションはできないことになりますけど。
大坂城の真田丸には到底及びませんが、われわれの「城」はついに来週壁が立ちます。 どうなるか楽しみです。
4月15日
コンクリート製の基礎に下向きの切欠きがあり、端が宙に浮いています。基礎は土台が乗る重要なところ。「?」設計士さんに疑問を投げると、早速現場で設計士さんと現場監督さんとで説明していただけました。レントゲン装置に電源、信号などを送る太い電線の束の床下の通り道で、「そこには力がかからないから大丈夫です」との返事。素人が生半可に建築中のものを見るからそうなるわけですが、素朴な疑問でも聞かなければ分からないし、納得ができません。雨の夕暮れにつき合わせてしまい申し訳ありませんでした。
実は、私たちの仕事について言うと、患者さんにはもっと疑問があるだろうし、不安も大きいと思います。いちいち説明できていないので、恐らく患者さんは納得できていません。しかし医療者側の立場からすると、治療を開始すると患者さんの反応は千差万別です。あらかじめ説明していたらきりがないし、仕事にならない。特に手術などは、手術前に手術部位のスケッチが書けるくらいに手術野を予測して、開始するわけですが、細かいところは状況に応じて変化していきます。それをあらかじめ患者さんに説明することは不可能です。
しかし「きりがない」ということで、そのまま行えば、患者さんの疑問は医療不信につながり、不信感は基礎の切欠きのように埋没したままになります。そして、関係なく些細な合併症が起こっても、それは「医療ミスだったのではないか」と思われてしまいます。手術などを含めた治療は期待通りの結果が出ないことは少なからずありますし、悪くなってしまうことだってあります。医療は不確定であり、治療の結果の保証はないことの、国民のコンセンサスがないのに、治療を行う、あるいは行わなければならない医療というものの状況が、患者さんや医療者を余計に苦しめている原因のような気がしてなりません。