連休もおわり

ゴールデンウイークも終わりました。

連休最終日となる昨日は、休みの総仕上げということで岐阜に小遠征して走ってきました。

金華山の麓は、よく来る定番のコースのひとつです。

まず長良川の河川敷を10kmほど走ってから、金華山(岐阜城跡)に登るのがいつものパターン。順番を逆にすると、たぶん走りたくなくなる気がする・・ DSC00195     河川敷から見上げた金華山と頂上に小さく見える天守

登山ルートは複数あり、その日の気分で選択。昨日選んだのは城の搦め手にあたる「水の手道」。後半が岩場になりますが、岐阜市街・長良川の景観が楽しめるルートです。関ヶ原の戦いの前哨戦の岐阜城の戦いで池田輝政が攻め上がったコースでもあります。「難攻不落」とうたわれる岐阜城(稲葉山城)ですが、実際の歴史では頻繁に落城しています。

山頂にある天守は加納城などを参考に設計された鉄筋コンクリートの復興天守なので、歴史上のものとは別物ですが、岐阜の風景に違和感なく溶け込んでいます。

DSC00197        山頂でみる天守。2代目の復興天守です。

連休も終わり。今日からまた気分を入れ替えて仕事ですね。

今日の写真は横から。屋根を撮ってみました。

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連休初日

ゴールデンウィークがはじまりました。高速道路の渋滞も始まっているようです。私自身は今日明日は仕事があり、朝、通勤途中で建築現場に立ち寄ると、連休初日ですが作業が行われていました。

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今日は後ろからもパシャリ!

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脱水症にご用心

好天が続きます。

気温が上がるこの時期より脱水症状で病院に運ばれる方が増えてきます。

特に高齢者は脱水になりやすい。もともと若い人と比べて体内の水分量が少ないこと。口渇感を感じにくくなってきているので、脱水状態に気づきにくいこと。すぐに食欲が減退してしまうので、さらに水がとれなくなり病状が悪化しやすいこと。水分や電解質のバランスをとる腎臓の機能が年齢とともに低下していることなどが脱水症が高齢者に多い要因です。

泌尿器科領域からみると、年齢と共に夜間頻尿の頻度が増えてくるのですが、夜起きる回数を減らすため安易な飲水制限を行ったりすると容易に脱水状態となってしまうので要注意。ご高齢の方が急に食欲が落ちたり、体重が減ったりする場合は脱水の可能性がないか確認する必要があります。「痰がからんで出しにくい」などの訴えから疑うことも。

診察室では、まずは脇の下が乾燥していないかみたり、手の甲の皮膚を指でつまんでみる「ハンカチーフサイン」を確認したりします。水分量が正常なら皮膚はすぐ戻りますが、脱水状態だとすぐには戻りません。脱水状態だとつまんだハンカチのように見えるというのが名前の由来。これらは簡便で自宅でもできるので、経口摂取が少なくリスクの高い患者さんやご家族に外来でお伝えしてチェックしてもらったりしています。

まずはこまめな水分補給の意識づけ、部屋を高温状態にして過ごさないなどの配慮が大事です。

元気な若い方も油断は禁物。屋外で体を動かしていると結構水分をロスします。口渇感がでる頃には随分水分を失っているので、症状がでる前に計画的に水分補給を行う必要があります。激しい運動を行う場合などには塩分などの電解質の補充も忘れずに。水や茶だけでは電解質の喪失はカバーできません。

ゴールデンウィーク中、屋外で過ごす機会のある方も多いと思いますが、こまめな水分摂取に気を付けてよい休日をお過ごしください。

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そうだ城跡、行こう

本日も晴天。「書を捨てよ町へ出よう」は寺山修司の評論ですが、街はちょっと暑いので今日も野山へ出てランニングです。書は捨てられず、遠出の際にはお供させていますが。

今日の場所は恵那市、岩村城跡です。

岩村城は前回の苗木城以上に広く知られているかもしれません。100名城の一つにも入っていますし、3大山城とも言われます。他の2城は高取城(奈良県)、松山城(岡山県)。100の選定も色々もめそうですが、3大山城の選定は相当異論がでそうですね。七尾城、鳥取城、春日山城、小谷城、最近観光客が集まっている竹田城、私の大学のあった島根県の月山富田城(こちらも「天空の城」で売り出し中!)も・・と錚々たるライバルがいます。ただ3大山城の方は戦国期だけでなく、江戸期にも使用された山城という共通点があります。

岩村城の特徴としては標高717mと、江戸諸藩の府城の中で最も標高が高いこと。戦国期には織田家、武田家の攻防の最前線として激しい戦闘が繰り広げられ、何度も落城している城でもあります。霧がよく発生するので別名「霞ケ城」。あと山城にしては井戸が17か所と非常に多く、現在でも多数残っています。美しい六段壁の石垣、石畳の登城坂が残りますが、特徴的な六段壁の石垣は崩落防止のため、追加工事を繰り返して補強した結果なんだそうです。説明板の絵図は確かに1段。美の追求や実用のためではなく、苦心の産物なんですね。

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危ないので石畳の城跡は徒歩で回り、ランは城下で。途中「燃料切れ」になり五平餅でチャージ。味噌だれに塩分と糖分が含まれているので即効性あります。味噌とクルミが香ばしい。食べ過ぎると走れなくなるので自主規制。

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建物のない城跡の話を続けていますが、クリニック建築は順調。壁もさらにできてきています。準備着々です。

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最小の城持大名

好天が続きます。放っておくと出てくるお腹を引っ込めるべく、週末は少し遠出して里山ランニングしてきました。増やすのは努力が要らないが、減らすのは大変なのが体重・・・ 厄介なものです。

場所は中津川・苗木城跡。中津川市を貫流する木曽川の岸にある城山(432m)に築かれた山城です。鎌倉時代からの領主遠山氏が徳川幕府により1万500石の大名に取り立てられ、中世からの城を改修したものです。もともと巨岩むき出しの岩山なので、天然の巨岩と石垣を組み合わせた異形の城。岩山で平坦な土地が少ないため、京都の清水寺のような懸造としてスペースを稼いでいました。戦国時代は織田家・武田家の攻防の前線となった城ですが、平和な江戸期になっても平地には降りず、先祖伝来の山城を改修して住み続けました。もう一つ異例なのは大名として最小の1万石程度(1万石からが大名です)で、城を持っていること。通常なら城を持てず、陣屋で執務を行う規模です。

建物は明治に取り壊されてしまっていますが石垣、礎石などの遺構は良く残っており、天守があった場所は展望台となっています(ちゃんと懸造にしてある)。別名「霞ケ城」(近くの恵那の岩村城と同じ通り名? 岩村城の方がメジャーかな)、「赤壁城」とも。白漆喰ではなく赤土がむき出しの外壁だったようです。その理由については、現地の案内板では「木曽川に住む竜が白い色を嫌い、何度漆喰を塗り直しても嵐を起こしてはぎ取ってしまった」という伝説をのせていましたが、1万石の最小大名なので外壁にコストはかけられなかったでしょうね。

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蛙の合唱の中、周囲を10km走ってから苗木城へ。展望台からの眺望は最高で恵那山、木曽川、中津川市街を一望。アップダウンのランニングで太ももパンパンでしたが疲れが吹き飛びました。気持ちもリフレッシュして今日からは仕事。

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クリニックの建築も着々と進んでいます。安全第一でお願いします。

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順調

日付かわってしまいましたが、4/24 夕の建築現場です。壁も徐々にできてきています。雨が続いていましたが、今週は幸い晴天続きでした。

来週も落ち着いていますように。

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一夜城伝説

4月23日

今日も快晴。クリニックの方も工事が進み、柱、梁、屋根、壁などができてくると図面で見ていた時よりも建物が大きく感じられます。

1日で柱、梁が立ち上がったのを見て墨俣一夜城の話を思い浮かべました。

桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った織田信長が美濃攻略に乗り出す拠点として、墨俣に出城を築くことを重臣達に命じるが、斎藤龍興からの妨害でうまくいかない。新参者、木下藤吉郎(豊臣秀吉)が名乗りをあげ即興の築城に成功した・・・

「墨俣一夜城」のエピソードは太閤の出世物語には欠かせません。

あまりにも有名なこの話ですが、史実かどうかは議論の的。信長関連の資料として信頼の高い「信長公記」には一夜城の記述はありません。墨俣一夜城の記述は前野家に伝わる文書「武功夜話」(17世紀前半に成立?偽書説も)が元ネタ。それによれば墨俣に侵攻した秀吉の総兵力は2140人。信長から借り受けた兵は鉄砲隊の75人。1万数千本の材木を木曽川へ流し、安全な場所で築城用に加工して現場で組み立てた。戦国版プレハブ工法です。斉藤家の攻撃を馬防柵でしのぎながら3日間で城を造ったとされています。

現在 岐阜県大垣市墨俣町には、1991年につくられた墨俣一夜城(墨俣歴史資料館)がありますが、これには大垣城を参考にした天守(!)があります。さすがに現代でもこれを3日で建てるのは無理。馬防柵、櫓、小屋からなる砦だったというのが現実的でしょうか。

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久しぶりの晴天続き。こちらの「築城」も無事進むことを祈ります。

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上棟

4月21日

雨続きでしたので、天候を心配していましたが、本日は晴天が得られ、無事棟上げできました。

柱、梁から建物のイメージも具体的になってきますね。夕暮れ時でしたが職人さんの作業が続いていました。予報では今週は天候は落ち着くようですが、風が強いようです。安全第一でよろしくお願いします。

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真田丸

火坂雅史さんの「真田三代」を古本屋で見かけました。

昨年の夏の休暇で真田家の上田城跡を訪れたこと、作者が今年2月に逝去されたと報道されていたことなども思い出し購入し読み始めました。火坂作品のうち「天地人」はNHKの大河ドラマの原作にもなっています。

そういえば来年の大河ドラマは「真田丸」となったはず。真田信繁(真田幸村)が主人公となりますね。なお幸村という名は軍記物や講談で一般的になった名で、本人は信繁と名乗っています。もっとも江戸期、あまりにも「幸村」の名が有名になったので、松代藩(兄信之の子孫)の正史でも幸村の名を採用しています。

「幸村」なのか「信繁」なのかは江戸幕府も興味をもったようで、死後200年たってから松代藩にわざわざ確認しています。結論としては「信繁」と考えているが、大坂城入場後に「幸村」と名乗ったという返答だったようですが。

青年のイメージをもたれることも多い幸村ですが、大阪夏の陣で戦ったときには49歳。過酷な九度山での配流生活のためか、歯も抜け、白髪の状態だったようです。ただし大坂夏の陣 天王寺の戦いで家康めがけて突撃を敢行し、15000の大軍を突破し本陣に突入、徳川勢を総崩れにしたのは史実。逃走する家康は自害を覚悟したとも伝わります。

「真田三代」は読み始めたばかりで夏の陣はまだまだ。大河ドラマの方はどう描かれるのでしょう。個人的には夏の陣ではやはり197cm 160kg の大巨人、リアル秀頼が一番見たいのですが。当時のスペイン人の宣教師には「動くのもままならない」とまで書かれている方なのでアクションはできないことになりますけど。

大坂城の真田丸には到底及びませんが、われわれの「城」はついに来週壁が立ちます。 どうなるか楽しみです。

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