台風一過

温帯低気圧にかわった台風も通り過ぎ、今日は快晴。明日は真夏日になるようです。日射病、熱射病、脱水に注意が必要です。クリニックの建築現場では建物内部の作業が続いています。

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台風接近

台風6号が接近中です。夕方に建築現場を訪れた頃には空を厚い雲が覆ってきました。

明日から天気は下り坂。雨、風ともに強いようです。みなさん気をつけて下さい。

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建物内部で作業が続いていました

 

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集合場所までgo!

今日は雲一つない晴天。

予定通り桶狭間の戦いにならって、清州から熱田神宮まで走ります。

史実の午前4時はさすがに早い・・ 9時に清州城跡からいざ出陣!現在立っている天守は平成元年に作られた模擬天守で、本来城があった場所は五条川をはさんだ向かいにあります。城跡は東海道本線と東海道新幹線によって分断される形。当時の城がどのようなものだったのかは資料も残っておらず、詳細は分かっていません。

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DSC00202本当の跡地には石碑が立っていました

DSC00203信長像。顔は桶狭間の方角に向けられています

清州は1610年に家康の命令で城下町ごと名古屋城下に引っ越した「清州越し」までは尾張の中心地でした。清州城は名古屋城の資材として流用されており、例えば名古屋城の御深井丸西北隅櫓は清州城の天守の資材を用いたとも伝わります。

4日連続のランとなり、さすがに両下肢が重い・・ ただ、飛ばさなければ問題なさそうです。走りはじめてすぐに、キリンビールの名古屋工場が見えてきました。ビアレストランもあるそうで「ビールもいいなぁ」とそそられますが、まだ走り始めたばかり。今日は通過です。次走るときは順路を逆にするといいかもしれまません。もう桶狭間関係なくなりますが。

それほど遠回りにもならないので、名古屋城をかすめて走るようにコースを変更してみました。先ほどの西北隅櫓まで見ようとすると、回り込まないといけないので今日はパス。なおこの櫓は清州櫓とも呼ばれ、重要文化財です。

大須観音で給水して一息。熱田神宮まで、あと少し。大須観音はもともとは岐阜県の羽島市にあった寺ですが、これもまた名古屋建設にあたり引っ越してきています。

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1時間45分ほどで熱田神宮に到着できました。名古屋城まわった分、距離は当初予定より少し増えて15km。鎧などもない軽装なので、4時間はやはりかかりませんね。熱田神宮には桶狭間の戦いに勝った戦勝のお礼として信長が寄進した築地塀が残っており「信長塀」と呼ばれています。

DSC00206これが信長塀

このまま桶狭間まで「進軍」したいところですが、用事があり今日はここまで。これを書きながら、ひっぱりだした「信長公記」を読んでいますが、肝心の戦場の場所は不明瞭。だから色んな説がでてくるんですね。

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信長疾走?

天候落ち着いているので、減量目的(史跡めぐりがしたいだけ?)のランニングも続いています。この1カ月で4kg減りましたので効果はあるようです。同じコースは飽きてしまうので頻繁にコースを変えるのですが、このコース設定も結構楽しい作業です。

前回岐阜城だったので、「岐阜城→織田信長」、「信長+5月→桶狭間の戦い(1560年5月19日、旧暦なら・・ですが。現代では6月になるようです)」というような連想で、清州城→熱田神宮→桶狭間古戦場 題して「1人桶狭間の戦い」というような具合でコース設定をしたりします。

信長家臣の太田牛一が残した「信長公記」に記録が残っていて、信長は突然、清州城を午前4時頃に数騎で出陣(おなじみの敦盛を舞ってから出撃したことものっています。これは史実みたい)。前夜は雑談のみで全く方針を家臣に知らせていないので家臣は慌ててバラバラと追いかけます。馬で駆け抜け、熱田神宮到着は午前8時頃。ここで味方が追いつくのを待ちます。距離を地図で調べると13kmくらいでしょうか。そんなに距離がないような・・・ 4時間かかるかな?

馬で走って1時間あたり3kmちょっとしか進んでいない計算になりますね。当時の馬は今のサラブレッドとは違って、ポニー並みの小さな馬ですが、それにしても随分遅い。ドラマ、小説では見せ場の一つで信長は馬で全力疾走する場面なんですが、ポニーに乗って、全然やってこない味方を気にして清州の方を振り返りながらポクポク歩いていたんでしょうか・・・ 記録には残っていないが、どこかに立ち寄っていたのかもしれませんね。

なお家臣は熱田神宮ではそろいきらず、最終的にそろったのは善照寺砦です。ここから、小説などでは窪地に陣取った今川義元を背後の山から奇襲して討ち取るという定番の場面にうつるのですが、史実は随分違うようです。「信長公記」の研究がすすみ、現在では「桶狭間山」に陣取った今川義元に対して、真っ正面から強襲したというようにかわっています。信長公記に残る信長の布達は以下。「聞け、敵は宵に兵糧を使ってこのかた、大高に走り、鷲津・丸根にて槍働きをいたし、手足とも疲れ果てたるものどもである。くらべてこなたは新手である。小軍ナリトモ大敵ヲ怖ルルコト莫カレ、運ハ天ニ在リ、と古の言葉にあるを知らずや。敵懸からば引き、しりぞかば懸かるべし。而してもみ倒し、追い崩すべし。分捕りはせず、首は置き捨てにせよ。この一戦に勝たば、此所に集まりし者は家の面目、末代に到る功名である。一心に励むべし」 相手が疲れたところを叩く作戦だったようです。この時に限らず、信長は家臣に事前に意図を説明するということをしません。こういったボスをもつ部下たちは大変だったでしょうね。

計画は立ちました。ひとまず「清州城→熱田神宮」のコースで。信長様よりは早く着きそうかな。

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連休もおわり

ゴールデンウイークも終わりました。

連休最終日となる昨日は、休みの総仕上げということで岐阜に小遠征して走ってきました。

金華山の麓は、よく来る定番のコースのひとつです。

まず長良川の河川敷を10kmほど走ってから、金華山(岐阜城跡)に登るのがいつものパターン。順番を逆にすると、たぶん走りたくなくなる気がする・・ DSC00195     河川敷から見上げた金華山と頂上に小さく見える天守

登山ルートは複数あり、その日の気分で選択。昨日選んだのは城の搦め手にあたる「水の手道」。後半が岩場になりますが、岐阜市街・長良川の景観が楽しめるルートです。関ヶ原の戦いの前哨戦の岐阜城の戦いで池田輝政が攻め上がったコースでもあります。「難攻不落」とうたわれる岐阜城(稲葉山城)ですが、実際の歴史では頻繁に落城しています。

山頂にある天守は加納城などを参考に設計された鉄筋コンクリートの復興天守なので、歴史上のものとは別物ですが、岐阜の風景に違和感なく溶け込んでいます。

DSC00197        山頂でみる天守。2代目の復興天守です。

連休も終わり。今日からまた気分を入れ替えて仕事ですね。

今日の写真は横から。屋根を撮ってみました。

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連休初日

ゴールデンウィークがはじまりました。高速道路の渋滞も始まっているようです。私自身は今日明日は仕事があり、朝、通勤途中で建築現場に立ち寄ると、連休初日ですが作業が行われていました。

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今日は後ろからもパシャリ!

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脱水症にご用心

好天が続きます。

気温が上がるこの時期より脱水症状で病院に運ばれる方が増えてきます。

特に高齢者は脱水になりやすい。もともと若い人と比べて体内の水分量が少ないこと。口渇感を感じにくくなってきているので、脱水状態に気づきにくいこと。すぐに食欲が減退してしまうので、さらに水がとれなくなり病状が悪化しやすいこと。水分や電解質のバランスをとる腎臓の機能が年齢とともに低下していることなどが脱水症が高齢者に多い要因です。

泌尿器科領域からみると、年齢と共に夜間頻尿の頻度が増えてくるのですが、夜起きる回数を減らすため安易な飲水制限を行ったりすると容易に脱水状態となってしまうので要注意。ご高齢の方が急に食欲が落ちたり、体重が減ったりする場合は脱水の可能性がないか確認する必要があります。「痰がからんで出しにくい」などの訴えから疑うことも。

診察室では、まずは脇の下が乾燥していないかみたり、手の甲の皮膚を指でつまんでみる「ハンカチーフサイン」を確認したりします。水分量が正常なら皮膚はすぐ戻りますが、脱水状態だとすぐには戻りません。脱水状態だとつまんだハンカチのように見えるというのが名前の由来。これらは簡便で自宅でもできるので、経口摂取が少なくリスクの高い患者さんやご家族に外来でお伝えしてチェックしてもらったりしています。

まずはこまめな水分補給の意識づけ、部屋を高温状態にして過ごさないなどの配慮が大事です。

元気な若い方も油断は禁物。屋外で体を動かしていると結構水分をロスします。口渇感がでる頃には随分水分を失っているので、症状がでる前に計画的に水分補給を行う必要があります。激しい運動を行う場合などには塩分などの電解質の補充も忘れずに。水や茶だけでは電解質の喪失はカバーできません。

ゴールデンウィーク中、屋外で過ごす機会のある方も多いと思いますが、こまめな水分摂取に気を付けてよい休日をお過ごしください。

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そうだ城跡、行こう

本日も晴天。「書を捨てよ町へ出よう」は寺山修司の評論ですが、街はちょっと暑いので今日も野山へ出てランニングです。書は捨てられず、遠出の際にはお供させていますが。

今日の場所は恵那市、岩村城跡です。

岩村城は前回の苗木城以上に広く知られているかもしれません。100名城の一つにも入っていますし、3大山城とも言われます。他の2城は高取城(奈良県)、松山城(岡山県)。100の選定も色々もめそうですが、3大山城の選定は相当異論がでそうですね。七尾城、鳥取城、春日山城、小谷城、最近観光客が集まっている竹田城、私の大学のあった島根県の月山富田城(こちらも「天空の城」で売り出し中!)も・・と錚々たるライバルがいます。ただ3大山城の方は戦国期だけでなく、江戸期にも使用された山城という共通点があります。

岩村城の特徴としては標高717mと、江戸諸藩の府城の中で最も標高が高いこと。戦国期には織田家、武田家の攻防の最前線として激しい戦闘が繰り広げられ、何度も落城している城でもあります。霧がよく発生するので別名「霞ケ城」。あと山城にしては井戸が17か所と非常に多く、現在でも多数残っています。美しい六段壁の石垣、石畳の登城坂が残りますが、特徴的な六段壁の石垣は崩落防止のため、追加工事を繰り返して補強した結果なんだそうです。説明板の絵図は確かに1段。美の追求や実用のためではなく、苦心の産物なんですね。

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危ないので石畳の城跡は徒歩で回り、ランは城下で。途中「燃料切れ」になり五平餅でチャージ。味噌だれに塩分と糖分が含まれているので即効性あります。味噌とクルミが香ばしい。食べ過ぎると走れなくなるので自主規制。

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建物のない城跡の話を続けていますが、クリニック建築は順調。壁もさらにできてきています。準備着々です。

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最小の城持大名

好天が続きます。放っておくと出てくるお腹を引っ込めるべく、週末は少し遠出して里山ランニングしてきました。増やすのは努力が要らないが、減らすのは大変なのが体重・・・ 厄介なものです。

場所は中津川・苗木城跡。中津川市を貫流する木曽川の岸にある城山(432m)に築かれた山城です。鎌倉時代からの領主遠山氏が徳川幕府により1万500石の大名に取り立てられ、中世からの城を改修したものです。もともと巨岩むき出しの岩山なので、天然の巨岩と石垣を組み合わせた異形の城。岩山で平坦な土地が少ないため、京都の清水寺のような懸造としてスペースを稼いでいました。戦国時代は織田家・武田家の攻防の前線となった城ですが、平和な江戸期になっても平地には降りず、先祖伝来の山城を改修して住み続けました。もう一つ異例なのは大名として最小の1万石程度(1万石からが大名です)で、城を持っていること。通常なら城を持てず、陣屋で執務を行う規模です。

建物は明治に取り壊されてしまっていますが石垣、礎石などの遺構は良く残っており、天守があった場所は展望台となっています(ちゃんと懸造にしてある)。別名「霞ケ城」(近くの恵那の岩村城と同じ通り名? 岩村城の方がメジャーかな)、「赤壁城」とも。白漆喰ではなく赤土がむき出しの外壁だったようです。その理由については、現地の案内板では「木曽川に住む竜が白い色を嫌い、何度漆喰を塗り直しても嵐を起こしてはぎ取ってしまった」という伝説をのせていましたが、1万石の最小大名なので外壁にコストはかけられなかったでしょうね。

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蛙の合唱の中、周囲を10km走ってから苗木城へ。展望台からの眺望は最高で恵那山、木曽川、中津川市街を一望。アップダウンのランニングで太ももパンパンでしたが疲れが吹き飛びました。気持ちもリフレッシュして今日からは仕事。

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クリニックの建築も着々と進んでいます。安全第一でお願いします。

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順調

日付かわってしまいましたが、4/24 夕の建築現場です。壁も徐々にできてきています。雨が続いていましたが、今週は幸い晴天続きでした。

来週も落ち着いていますように。

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