クリニックは28日が仕事納め。
多くの方々の支援で無事に年末を迎えることができました。
開院以来少人数のスタッフで奮闘してきましたが、来年は順次新たなスタッフも加入します。クリニックが地域にとって意義のある存在になれるよう、一層の診療体制の充実を図っていきたいと考えています。地域医療のニースはたくさんありますが、一足飛びには到底到達できません。足場を固めながら一歩一歩着実に進んでいくしかありませんね。
来年は、1月4日より診療を開始します
正月休みを前に、今日はクリニックの大掃除でした。溜まってしまった書類、紙類なども整理。ずいぶんスッキリしました。
自宅の方はまだまだ。気持ちよく新年を迎えられるよう、そろそろ取り掛からなければいけないのですが、少しゴソゴソ片付けはじめると、思わぬ本を発掘したりするので、ついつい読みふけってしまい遅々として進みません。
クリニックの方は年越しをむかえる準備が整いました。明日が今年最後の診療となります。しっかり締めくくれるようにしたいですね。
本日12月25日はクリスマス
事務仕事も一時休戦と行きたいところですが、残念ながら課題山積。書類などの退治に励むいつもと同じ夜が過ぎていきます。
クリスマス休戦といえば、第一次世界大戦時の1914年12月24日にドイツ軍、イギリス・フランス軍との最前線で偶然に生まれた1日だけの休戦が有名。双方の兵士がサッカーをしたり、ワインを飲んだりする奇跡的な平和が1日だけ生まれました。
実は日本でも戦国時代にクリスマス休戦が行われた記録が残っています。1566年堺近郊で対峙していた松永久秀軍と三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)に対して、宣教師ルイス・フロイスがクリスマスのミサの開催を呼びかけ、双方の軍から信者が参加したので、当日の戦闘がなくなったというもの。
もっともこちらのクリスマス休戦は人道的な配慮というよりは、旗色が悪く、休戦提案が渡りに船だった事情もあるようですが。
当事者の一方、松永久秀と言えば、第六天魔王を自称する織田信長から「常人では一つとして成せないことを三つもなした男」と激賞されたほどの人物。
一つ目、主家である三好家に対する暗殺
二つ目、室町幕府将軍、足利義輝の暗殺
三つ目、奈良の東大寺大仏の焼き討ち
全部悪事です。
信長に対して二度も謀反を起こし、二度目は降伏を拒否して名物「平蜘蛛茶釜」に火薬を詰めて木端微塵となる前代未聞の最期を遂げたという逸話が残ります。「信長公記」などでは爆破ではなく炎上の記録ですが、歴史ドラマなどではここは見せ場。いつも信貴山城もろとも派手に爆発するのがお約束です。
波乱万丈だけど絶対にNHKの大河ドラマの主人公にはならないだろうな。
さてクリニックの業務の方は一時休戦とはならず。
今年の診療も残すところあと2日。気をひきしめて業務に臨みます。
請求業務、書類作成などなど、事務仕事でここ数日はバタバタ。
大病院では医事課などのスタッフにやっていただいていた業務も、小さなクリニックでは自分達でやらねばいけません。細々した部分は、失敗しながら覚えていくしかなさそうです。
なんとか片付く目途もたち、気分転換もかねて昼の休み時間に走りにでました。小春日和の良い天気。暖かい秋だったためか、名古屋ではまだまだ紅葉も残っています。
走っていくと「尾張名古屋は城でもつ」と称されてきた、名古屋城が見えてきました。金のシャチホコともども今も昔も名古屋のシンボルです。
戍亥櫓は清州城小天守を移築したという伝承もあるため別名清州櫓とも。他の建物の古材を再利用した櫓には違いないようですが、伝承の真贋については諸説あるみたい。外部の北面、西面に千鳥破風があり、落狭間も備える、かなり立派な櫓です。
気が済むまで隣接する名城公園をグルグル回ってクリニックへ。考えてみれば、動物の中で走ることそれ自体を目的として走ったりするのは人間だけ。ずいぶん変な生き物ですね。
おだやかな日も今日までで、明日からは天気は下り坂のようです。
明日のお昼休みは、おとなしく書類退治かな。
このブログで気分転換して、今晩はもうちょっと頑張って作業です。