温帯低気圧にかわった台風も通り過ぎ、今日は快晴。明日は真夏日になるようです。日射病、熱射病、脱水に注意が必要です。クリニックの建築現場では建物内部の作業が続いています。
月別: 2015年5月
手前味噌
先日のことですが中学時代の仲間と矢場地蔵にある飲食店で会合(飲み会)があり、やや早く到着したので、会場へは遠回りして、久々に大須の街を歩きました。矢場地蔵は大須商店街のはずれにあります。大須の街は土曜日だったせいか、多くの若い人、外国人が行き交い、大変なにぎわいでした。
私は地元大須小学校の出身で、学校が終わった後、当時あまり人通りがないこのアーケード街をぱたぱた、ぱたぱたと友達と走り回っていました。私が育った時代は、高度成長期と呼ばれる、名古屋の郊外発展の時期で、名古屋市に緑区や守山区ができて、ドーナッツ化現象という言葉が作り出されていました。中心部の人口が減り、住宅や人は郊外にどんどん移っていきました。郊外からの買い物客は市電や市バスに乗って松坂屋、オリエンタル中村(今の三越)、丸栄(当時の三大デパート)がある栄町(さかえまち)周辺のみに集まり、わざわざ大須まで足を延ばす人は少なくなっていました。
全国的にもアーケード商店街がそのままシャッター商店街になってしまう社会現象の中、大須の町は、その流れを断ち切りうまく立ち直ってくれています。
にぎやかな商店街の中を、観光客のようにきょろきょろあちこち見てまわりました。小学生のころ書初めを奉納した(させられた)神社、古くからあるお店、新しいお店、私には何を売っているのかわからないお店・・などなど大変刺激的でした。名古屋なので、味噌を売りにしている食べ物屋さんが目につきました。
「味噌から揚げ」なる大ちょうちんをぶら下げているお店がありました。名古屋ですから八丁みそ味なんだろうけど・・・。想像つきません。
次は当地限定「赤みそカレー」想像できないことはないけど・・。
そして全国区、矢場とん「味噌カツ」これはわかります。でも矢場とんの看板は50年前よりずいぶん洗練されています。看板の豚さんがきれいで、品がよくなりました。私の記憶では50年前の看板は現在の位置よりもう少し赤門通り寄りの路地裏にあって、ペンキの剥げた、下品な豚さんが狭い道路に今にも落ちそうにせり出していました。
矢場地蔵に到着しましたが、私の通学路から100mほどなのに全く覚えがありません。50年前にはなかったのではないかとも思いましたが、由緒を聞くと元禄時代からあったとのこと、失礼しました。 会の中で仲間に聞くと、当時ここは地下鉄南北線(現在名城線)の工事で掘り返していたり、重機置き場になっていて近寄ることができなかったとのことでした。
飲み会は開店から閉店まで続き、昔の中学生たちは夜の更けるのも忘れて、よもやま話に花を咲かせていました。
台風接近
集合場所までgo!
今日は雲一つない晴天。
予定通り桶狭間の戦いにならって、清州から熱田神宮まで走ります。
史実の午前4時はさすがに早い・・ 9時に清州城跡からいざ出陣!現在立っている天守は平成元年に作られた模擬天守で、本来城があった場所は五条川をはさんだ向かいにあります。城跡は東海道本線と東海道新幹線によって分断される形。当時の城がどのようなものだったのかは資料も残っておらず、詳細は分かっていません。
清州は1610年に家康の命令で城下町ごと名古屋城下に引っ越した「清州越し」までは尾張の中心地でした。清州城は名古屋城の資材として流用されており、例えば名古屋城の御深井丸西北隅櫓は清州城の天守の資材を用いたとも伝わります。
4日連続のランとなり、さすがに両下肢が重い・・ ただ、飛ばさなければ問題なさそうです。走りはじめてすぐに、キリンビールの名古屋工場が見えてきました。ビアレストランもあるそうで「ビールもいいなぁ」とそそられますが、まだ走り始めたばかり。今日は通過です。次走るときは順路を逆にするといいかもしれまません。もう桶狭間関係なくなりますが。
それほど遠回りにもならないので、名古屋城をかすめて走るようにコースを変更してみました。先ほどの西北隅櫓まで見ようとすると、回り込まないといけないので今日はパス。なおこの櫓は清州櫓とも呼ばれ、重要文化財です。
大須観音で給水して一息。熱田神宮まで、あと少し。大須観音はもともとは岐阜県の羽島市にあった寺ですが、これもまた名古屋建設にあたり引っ越してきています。
1時間45分ほどで熱田神宮に到着できました。名古屋城まわった分、距離は当初予定より少し増えて15km。鎧などもない軽装なので、4時間はやはりかかりませんね。熱田神宮には桶狭間の戦いに勝った戦勝のお礼として信長が寄進した築地塀が残っており「信長塀」と呼ばれています。
このまま桶狭間まで「進軍」したいところですが、用事があり今日はここまで。これを書きながら、ひっぱりだした「信長公記」を読んでいますが、肝心の戦場の場所は不明瞭。だから色んな説がでてくるんですね。
信長疾走?
天候落ち着いているので、減量目的(史跡めぐりがしたいだけ?)のランニングも続いています。この1カ月で4kg減りましたので効果はあるようです。同じコースは飽きてしまうので頻繁にコースを変えるのですが、このコース設定も結構楽しい作業です。
前回岐阜城だったので、「岐阜城→織田信長」、「信長+5月→桶狭間の戦い(1560年5月19日、旧暦なら・・ですが。現代では6月になるようです)」というような連想で、清州城→熱田神宮→桶狭間古戦場 題して「1人桶狭間の戦い」というような具合でコース設定をしたりします。
信長家臣の太田牛一が残した「信長公記」に記録が残っていて、信長は突然、清州城を午前4時頃に数騎で出陣(おなじみの敦盛を舞ってから出撃したことものっています。これは史実みたい)。前夜は雑談のみで全く方針を家臣に知らせていないので家臣は慌ててバラバラと追いかけます。馬で駆け抜け、熱田神宮到着は午前8時頃。ここで味方が追いつくのを待ちます。距離を地図で調べると13kmくらいでしょうか。そんなに距離がないような・・・ 4時間かかるかな?
馬で走って1時間あたり3kmちょっとしか進んでいない計算になりますね。当時の馬は今のサラブレッドとは違って、ポニー並みの小さな馬ですが、それにしても随分遅い。ドラマ、小説では見せ場の一つで信長は馬で全力疾走する場面なんですが、ポニーに乗って、全然やってこない味方を気にして清州の方を振り返りながらポクポク歩いていたんでしょうか・・・ 記録には残っていないが、どこかに立ち寄っていたのかもしれませんね。
なお家臣は熱田神宮ではそろいきらず、最終的にそろったのは善照寺砦です。ここから、小説などでは窪地に陣取った今川義元を背後の山から奇襲して討ち取るという定番の場面にうつるのですが、史実は随分違うようです。「信長公記」の研究がすすみ、現在では「桶狭間山」に陣取った今川義元に対して、真っ正面から強襲したというようにかわっています。信長公記に残る信長の布達は以下。「聞け、敵は宵に兵糧を使ってこのかた、大高に走り、鷲津・丸根にて槍働きをいたし、手足とも疲れ果てたるものどもである。くらべてこなたは新手である。小軍ナリトモ大敵ヲ怖ルルコト莫カレ、運ハ天ニ在リ、と古の言葉にあるを知らずや。敵懸からば引き、しりぞかば懸かるべし。而してもみ倒し、追い崩すべし。分捕りはせず、首は置き捨てにせよ。この一戦に勝たば、此所に集まりし者は家の面目、末代に到る功名である。一心に励むべし」 相手が疲れたところを叩く作戦だったようです。この時に限らず、信長は家臣に事前に意図を説明するということをしません。こういったボスをもつ部下たちは大変だったでしょうね。
計画は立ちました。ひとまず「清州城→熱田神宮」のコースで。信長様よりは早く着きそうかな。
連休もおわり
ゴールデンウイークも終わりました。
連休最終日となる昨日は、休みの総仕上げということで岐阜に小遠征して走ってきました。
金華山の麓は、よく来る定番のコースのひとつです。
まず長良川の河川敷を10kmほど走ってから、金華山(岐阜城跡)に登るのがいつものパターン。順番を逆にすると、たぶん走りたくなくなる気がする・・ 河川敷から見上げた金華山と頂上に小さく見える天守
登山ルートは複数あり、その日の気分で選択。昨日選んだのは城の搦め手にあたる「水の手道」。後半が岩場になりますが、岐阜市街・長良川の景観が楽しめるルートです。関ヶ原の戦いの前哨戦の岐阜城の戦いで池田輝政が攻め上がったコースでもあります。「難攻不落」とうたわれる岐阜城(稲葉山城)ですが、実際の歴史では頻繁に落城しています。
山頂にある天守は加納城などを参考に設計された鉄筋コンクリートの復興天守なので、歴史上のものとは別物ですが、岐阜の風景に違和感なく溶け込んでいます。
連休も終わり。今日からまた気分を入れ替えて仕事ですね。
今日の写真は横から。屋根を撮ってみました。
なんじゃもんじゃの木
5月2日
強い日差しの中、近所の街路樹が綿を載せたように白い花をたくさん咲かせています。
「あれは何の木だろう?」「なんじゃもんじゃです」水戸黄門が尋ねてそうなったとのことです。本当かどうか・・。
不思議な名前の木ですが、Wikipediaなどによれば「なんじゃもんじゃ」の木は和名「ヒトツバタゴ」といいモクセイ科の落葉高木で、中国、台湾、朝鮮半島および日本では対馬、岐阜県東濃地方の木曽川周辺、愛知県の隣接部に隔離分布する珍しい分布形態をとります。
五月に雪のような白い清楚な花を咲かせます。緑の葉の上に白い綿が乗っているという感じで咲きますが、なかには葉を出すことを忘れてしまっているような木もあります。どこにも変わり者はいるものですね。
連休初日
脱水症にご用心
好天が続きます。
気温が上がるこの時期より脱水症状で病院に運ばれる方が増えてきます。
特に高齢者は脱水になりやすい。もともと若い人と比べて体内の水分量が少ないこと。口渇感を感じにくくなってきているので、脱水状態に気づきにくいこと。すぐに食欲が減退してしまうので、さらに水がとれなくなり病状が悪化しやすいこと。水分や電解質のバランスをとる腎臓の機能が年齢とともに低下していることなどが脱水症が高齢者に多い要因です。
泌尿器科領域からみると、年齢と共に夜間頻尿の頻度が増えてくるのですが、夜起きる回数を減らすため安易な飲水制限を行ったりすると容易に脱水状態となってしまうので要注意。ご高齢の方が急に食欲が落ちたり、体重が減ったりする場合は脱水の可能性がないか確認する必要があります。「痰がからんで出しにくい」などの訴えから疑うことも。
診察室では、まずは脇の下が乾燥していないかみたり、手の甲の皮膚を指でつまんでみる「ハンカチーフサイン」を確認したりします。水分量が正常なら皮膚はすぐ戻りますが、脱水状態だとすぐには戻りません。脱水状態だとつまんだハンカチのように見えるというのが名前の由来。これらは簡便で自宅でもできるので、経口摂取が少なくリスクの高い患者さんやご家族に外来でお伝えしてチェックしてもらったりしています。
まずはこまめな水分補給の意識づけ、部屋を高温状態にして過ごさないなどの配慮が大事です。
元気な若い方も油断は禁物。屋外で体を動かしていると結構水分をロスします。口渇感がでる頃には随分水分を失っているので、症状がでる前に計画的に水分補給を行う必要があります。激しい運動を行う場合などには塩分などの電解質の補充も忘れずに。水や茶だけでは電解質の喪失はカバーできません。
ゴールデンウィーク中、屋外で過ごす機会のある方も多いと思いますが、こまめな水分摂取に気を付けてよい休日をお過ごしください。