4月23日
今日も快晴。クリニックの方も工事が進み、柱、梁、屋根、壁などができてくると図面で見ていた時よりも建物が大きく感じられます。
1日で柱、梁が立ち上がったのを見て墨俣一夜城の話を思い浮かべました。
桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った織田信長が美濃攻略に乗り出す拠点として、墨俣に出城を築くことを重臣達に命じるが、斎藤龍興からの妨害でうまくいかない。新参者、木下藤吉郎(豊臣秀吉)が名乗りをあげ即興の築城に成功した・・・
「墨俣一夜城」のエピソードは太閤の出世物語には欠かせません。
あまりにも有名なこの話ですが、史実かどうかは議論の的。信長関連の資料として信頼の高い「信長公記」には一夜城の記述はありません。墨俣一夜城の記述は前野家に伝わる文書「武功夜話」(17世紀前半に成立?偽書説も)が元ネタ。それによれば墨俣に侵攻した秀吉の総兵力は2140人。信長から借り受けた兵は鉄砲隊の75人。1万数千本の材木を木曽川へ流し、安全な場所で築城用に加工して現場で組み立てた。戦国版プレハブ工法です。斉藤家の攻撃を馬防柵でしのぎながら3日間で城を造ったとされています。
現在 岐阜県大垣市墨俣町には、1991年につくられた墨俣一夜城(墨俣歴史資料館)がありますが、これには大垣城を参考にした天守(!)があります。さすがに現代でもこれを3日で建てるのは無理。馬防柵、櫓、小屋からなる砦だったというのが現実的でしょうか。
久しぶりの晴天続き。こちらの「築城」も無事進むことを祈ります。